お盆に我が家のお墓詣り(父方)に行った時のお話DEATH
我が家のお墓はどえらい山の中 いわゆる限界集落と言ってもいいような
山奥にあり、そこのお寺さんはむか~し我が家が建てたお寺
最近はキャンプ場なんかを村が経営しだして若者を呼び込もうとしてますが
結局は点でしかないので当然過疎化してる
当然お寺の経営は苦しい(を通り越してる)
昔はあっちの山からこっちの山まで我が家の土地(だったらしい)
この辺りも我が家の土地(イワナが釣れます)
住職さんは未婚のおばあさん
そんなかなりきっつい状況
父が生きていたころは何かと父に相談をしていましたが
亡くなってからは私がお寺に顔を出すのを心待ちにしている
大抵は3,4時間くらい愚痴&相談に載っている
(その間兄や母は車でご飯食べに行ったりする)
お寺と言っても現在は村の寺的な位置づけなので立場的には住職さんよりも
村人や信徒総代さんの方が断然上
彼らにしてみれば喰わせてやってるという意識が当然あり
なおかつ村社会なので男尊女卑!!
住職さんはと~っても辛い立場
総代さんなんかは平気で出ていけ!!と言ったりするらしい
(住職さんも中々気が強いので多分しょっちゅうぶつかってる)
出ていかせたところでこんな過疎の山寺、誰も来てはないのに
ま、そんな感じで私はここにいてええんやろか?敵な愚痴をよく言いますが
村人が出ていけ云々と言っても、このお寺で70年以上過ごしてるんだから
本尊様はいていいよ~と言ってんじゃん
そんな話をしたりもする
檀家の数は40あったのが過疎で今は20ほど
正直厳しいを通り越してる状況で、70過ぎてるので当然外への発信なんてできない
浄土真宗さんなので祈祷で信徒が増えるということもない
どうすればいいかね~と相談を受けるので
私だったらさ~、暑かろうが寒かろうが、本堂の扉を開けっぱなしにして
毎日拝んでる姿を人に見てもらうよね~
一日一座ではなく、なるべく村の人の目に触れるように
三座くらい拝むかな~
それで本堂に入ってきてくれる人が一人でも来たら、お茶屋お菓子
なんならご飯だって出して、いろんな話したり、時には相談に乗る
そんな感じで来てくれた人一人一人を大事にする
お寺が復興できますように~本尊様をひたすら信じて
拝む
あとはなるべく村の方に先祖のことや(他家の先祖も)古い話を聞いて
檀家さんが来たら、先祖のことや村の古い言い伝えを教えてあげる
聞いた話は記録にとっておく
その二つを頑張ると思うよ~
大抵先祖のことなんかはお寺さんに聞きに行くからね~
そんなアドバイスをしたりしました
ちなみに私が廃寺のように廃れたお寺を復興するとしたら
奇を狙ってなんか仕掛けたり、SNS[頑張ったり云々はせずに
本尊を信じてひたすら拝んでる姿を村の人に見てもらって少しずつ信頼をしてもらう
来てくれた人を大事にする
村や村人の歴史を残していく
その三つをメインでやっていくと思います
新しく赴任する住職さんなんかは、たぶん3番目の村の歴史や言い伝え云々がとても弱いと思うのです
私だったら、どうせ過疎の村なので戸数自体も少ないので
挨拶がてら一軒ずつ回って、村の古い話や、あそこの先祖はどうだった云々という村民たちの先祖の話を聞き取りするでしょうね~
まずはそこから村の人たちとの信頼関係を構築していくと思います
(多分このほうほうはと~っても効果的)
案外その辺りは正攻法なのです(逆になぜそれをしないかが不思議)
商売でもそうなのですが、いくら奇を狙ったり、はやりの方法論を使っても
結局目の前の人と信頼関係を作って
大事にできない限り長くは続かないのです
こちらは死体を横たえておく石の台
昭和の結構な時代まで土葬だったので、お墓に穴掘るときに
ここに死体を置いていたのかも
さすがに怖くて座れません!!