霊能力やヒーリング能力を高めたい
加持祈祷の加持力を高めたい等の欲求と言うものをよく聞く
いわゆるマジカルな力を求めて、高めて修行したり瞑想したりする
はたまた様々な修法や術云々を手に入れようとする
ヒーリング能力高めたいから滝に打たれました
霊能力高めたいから山に入ってます等
最近私がとても思うに、結局大事なのはいかにそれを扱うという
心と言うものと、介在する方々を信じ切る信と言うもの
結局はその二つなんだろうな~と強く思うのです
皆さん、道具を欲しがる、はたまた自分の能力を高めるという方向ばかりに目が行きますが
やはり大事なのは扱う人の心
最近よく書いている境涯と言うものなのでしょう
境涯を高めていけば自ずと加持力にしてもヒーリングの力なんかも
上がっていく
境涯を上げるということは、結局神仏と言う方々に近づくということですから
自分の立っている位置が、上がっていって物事を俯瞰して見れるようになる
物事にいちいち一喜一憂せずに大きな器量で受け入れる
いきなり仏様の立ち位置まで上がるなんてことは無理ですが
今よりも少し境涯が上がればその分だけ皆様が欲しがるものも
手に入る
霊能もヒーリング能力も加持力なんかも、自分の持ってる能力なんて
たかだか知れてる
それをマックス出力できるようになっても、実はそんなに大差はない
それよりも自分ではない大いなる存在から頂いたり中継させてもらう方が
絶対に効果も力も大きい
そのためには大いなるものの存在を確信しきることが大事
委ねる以前にまずは確信する
修行云々も神仏の存在を確信するためと自分の境涯を上げるためと
頭を切り替えるとよい気がします
神仏って基本視えないし聞こえない存在じゃないですか
我が家のたまこのように目の前にいれば、ああ~たまこは存在してるのね~と実感できますが
見えない、聴こえない、感じれない存在を信じるのって中々ハードルが高い
だからこそあえてそうしてるんじゃないかとさえ最近は思う
見えない、聴こえない、実感できない神仏と言う存在をどこまで
信じ切れるか
実はそれが一番大事なことなのだと思うのです
ご利益信仰と言う言葉がありますが
スタートはそれでええと思うのです 我々人間なんて
な~んのとりえも華もないジミで暗い子ですから(BYあまちゃん)
そんな凡夫が、なんの利益もなく信仰なんてなかなか出来ない
神様拝んでご利益もらった~ やっぱ神様っているのね~
それもやはり大事
ただそこで終わらずにと言うことがもっと大事なのです
目的なんてものは基本もたない私ですが
最近死ぬまでの目的というものを、仏様の存在を120パーセント信じ切る
確信するということにしたのです
神仏の存在云々と偉そうに書いてる私だって、神仏は存在してらっしゃるのだろうな~とは当然思ってますが
120パーセントの確信までには至っていない
正確に言えばいるのでしょうが自分の人生委ね切れるほど
信じ切れていないのかもなのです
なので自分の人生委ね切れるほどに信じる等ことを目的にしていこうかと
思っております
ちなみに信じ切るというのはな~んもしないで神様任せではなく
やることやった後の神様任せ
神様仏様がジャッジをする分岐点(ブルース的に言えば十字路)
そこまでは当然自分の足で歩いて行って
十字路で、あんたは南に向かってデルタブルースを手に入れろ~
と言われれば、南に向かってロバートジョンソンを目指す
(デルタブルースの伝説的人物)
最終的にはそれが信仰と言うものなのでしょう
そこまでの境地には達せれないかもですが、そこを目指すのもいいかもな~
そんな感じです
霊能、ヒーラー云々と言うマジカルな力を求めたり生き方をする方なんかも
本来はそういう思考のベクトルの方が、能力云々も高まるのでしょう