霊能者さん云々が自分の力で色々しようとする
いわゆる念力的なもの
最近特に思うのが、結局人間の力でできることなんてたかだか知れてる
所詮人は人でこの世の住人なのです
ちなみにこの世とあの世(視えない世界や霊の世界)
そんなくくりで分けるとすると
人間はこの世の世界の住人で、この世のことしかできないのかも
あの世の世界と言うのは神仏様やそこに関わる霊的世界の住人が
お力を発揮する世界
結局願望成就のお願い云々と言う神頼みって
我々はこの世で出来るいわゆる努力と言うものを出来る限りやって
あとは神様や仏様、はたまたご先祖様にお願い
これしかないのでしょう
ただこのお願いと言うものがやはり皆様中々分かっていない
(気がする)
届くお願い=私が望む結果と方法を強く強く願う
そんな方法論を霊能者さんも占い者さんもスピの方も結構提唱しますが
本来は結果や方法論まですべてお任せの境地と言うものがとても大事
ただそこに近づくにつっれて、疑問と言うものがわいてくる
願いをしてええのか??
厚かましくないのか??結局私の我欲なんじゃないのか?
私のような善良な市民であれば、やはりそれくらいは思っちゃう
余程面の皮が厚くない限りは
その辺りのある種の良心の呵責のために、毎日掘神様や仏様を拝んだり
お供えしたりと言う供養と言うものも大事になってるのかも
お願いがあるときだけちゃっかりお願いに行くよりも
普段からきちんと供養してる方がやはり、こちらの気持ちとしては
お願いをしやすい(良心の呵責も少ない)
もひとつ普段のお供養が大事な理由に
いわゆる本尊様とをどれだけ信頼できるか、お任せできるかと言う
そんな私の気持ちを作り上げれるか
そこがとても大事
どれだけすべてをお任せですよ~と言ったって、信じ切れないものには
お任せなんてできっこない
いわゆる信心の深さと言うものを日々作り上げるということはとても大事なのです
イチローさんや青森からベコに乗って東京さやってきた我らがIKUZO
先生のような偉大な功績を残した方達だって
自分の才能や運命と言うものを信じれたからこそ続けることができた
もしくは僕らのヒロト先生のように好きという気持ちを信じ切れたからこそ
才能や運命だって結局信じ切るくらいまでの何かがない限り
続かないし、成功なんてなかなか出来ない
神様や仏様と言う霊的な存在にたいしても
やはりどれだけ信じることができるか、その境地を作り上げることができるか
そこがとても大事なのです
古の修行者たちのような生死をかけた大変な苦行だって
どこを目指してるかで手に入れれるものや境地って絶対変わってくると思うのです
私の中の眠ってる能力を開発するという、いわゆる超人探求型なのか
ここまで大変な行を行っても、何とか無事に満行出来るのは
神仏様のご加護があったからという神仏様の力を実感し、信じ切れる
境地に至るためなのか
どっちが優れてる云々と言うことではなく、目指す境地の違い
目的の違いはやはりあると思うのです
ただ私の感覚でいえば、超人探求型の、私の念力や法力で~というのは
やっぱりしんどいのだろうな~
いわゆる受けちゃうというものもあるだろうし、結構人生そのものも
厳しくなっちゃう、きつくなりそうだよな~と思うのです
皆様のような願望成就の場合も同じくで
神様、どうしてもこの人と一緒にさせてください~と強く願った
結果一緒になれたとしても
その後の生活は結構きつい場合は多いのかもしれないよな~
お金なんかも同じで、お金が手に入ったのちの人生も
人生って願望が叶っておしまいではなく
その後も人生は続いていくので
やっぱその後の人生が幸せな方がええもんと思うのです
私なんかは、どうしてもと言う願望が叶わなくても
その後の人生が幸せん場方が絶対いいです
多分神仏にすべてお任せ~という結果ってそこまで考えての結果だと思うのです
我々人間なんかでは、うかがい知れない未来まで考慮しての結果