旧ブログのえらい古い記事ですが
その後何度もリーディングに出てくる柳生十兵衛さん第一弾
全く自分で覚えてないが(というか記事自体覚えてないのです 大抵の記事は
なぜなら ゴーストライターだからです!!)
というのは冗談で 読み返さないしババばっと書くことが下りてきて
単にそれを打ってるだけなので はい あんま自分で書いてる感覚しないのだわ!!
なので記事1つ5分くらい❓もかかんないのです はい 2,3分かも?
本屋で柳生十兵衛さんの本少し読んだらばっと浮かびました。
がかなり断片的ですが。
梟雄だったとか言われてるじゃん。
その辺りから。
実は私が感じるこの方って凄くインテリジェンスな方。
品がよいというよりも口数少なくでも周りを圧倒する凄みのある人。
で印象的な感覚として机の上で剣理に没頭する方。
世間のイメージだと荒々しく野生的でしょ?
2面性があるのだが年を取るにつれ(といっても多分20代前半かもしくは10代から)
机の上での剣理の追求というかそっちに走ってます。
剣を持ち理を確かめ机の上で体系化するというか。
剣の研究者というか剣豪達が晩年に行うことを若いころから行っていた早熟の天才。
30才位で書として体系化したものを父に見せたら破り捨てられたらしいが。
多分ムネノリにしてみるとそんな若さで理を説くのが小ざかしいというか100年早いと
言う感覚だったのでは。
若いころから剣理を追求する姿がにがにがしかった感も。
もっと身体を使って剣に励めという感覚で。
自分でさえその境地に達しないのにお前がそれを望む(というかわかった気でいるのが
腹立たしいというか)
ただ十兵衛にすれば若いころからもうすでに見えていたと思われます。
確かに技としては未熟なのかもですがその先の境地というものはわかってたというか
感じれてたというかね。
もうそれは若い若くないでなく天才のみが持つはじめからわかってたという感じで。
で剣技よりも剣理のほうが大切であるってね。
父のほうは其処まで剣に対して天才ではないので息子が何を考えてるのかはかり知れなくて
不気味だったと感じます。ただ剣の才というものは大いに感じており期待も実は大きかったのでは。ある時期までは。
その期待ですがずばり尾張柳生に対する敵愾心です。
ほら、柳生の本流って実は尾張藩の師範となった名人兵庫の介の系統に行ったじゃん。
で兵庫の次がなんと尾張藩主のあの方が継ぎその次が天才とうたわれた連也才で。
将軍家指南役のムネノリにすれば許しがたいことじゃん。
自分が継げないんだから。が確実に初代の技は尾張に持ってかれてるわけで。
で自分の才能では(剣のみね)兵庫には勝てないと。
其処にスゴーク才能溢れる息子がいたらそりゃ期待するじゃん。
その表れが子供の頃に家光の剣のご学友としたことね。ま、それも色んな説があるが結果
外されるが。
でこの外された理由もいろいろいわれるが私が感じるのはむねのりが外してます。
落ち度があったとかじゃなくて。
十兵衛の思考が多分その頃から(子供の頃)ムネノリが目指すものでなく理というものに
向かってたと感じます。
で逸話に良く登場する力試しに来たものを剣を取って向かい合っただけで勝負あったって言っても相手が納得しないのをわからんやつだな、剣を交えるまでないじゃん的に
一寸の見切りで切り倒したってあるじゃん。
あんな感覚なんです。剣を持っても。圧倒的な凄みで圧倒できるにも関わらずそれをせずに
ただ立つというか。父とすれば物足りないというか。才の出し惜しみというかね。
もっと修行すればもっと強くなるだろ、何やってんの?てきな憤りを感じます。