さて先日師僧からどえらい素晴らしい話を伺いました
あまりの素晴らしすぎに目からうろこがボロボロと落ち
しまいには鱗がなくなりようやく両生類に進化出来ました
陸に上がるまでもう少し!!(両生類に鱗があるかは知らんがな)
水子の供養なんかで、一度供養をやってらとは知らんふり
それって供養ではなくて、手切れ金と同じだよね~と言う話
水子の供養ではなく、結局この供養で手を切ってくださいね~
そんな感じですよね
確かに!!いままでそんなこと考えたこともなかったけど(水子もおらず)
いわれりゃ全くおっしゃる通り
供養であれば、一度供養したらもう知らんふりなんて本来はないですもんね
逆に水子にしてみたら腹が立つ!!
似たようなことで、衝動買いしたりした仏像が障りおこしたり
手に負えなくなって奉納という形でお寺に引き取ってもらう
なんだかお寺に仏像を奉納したんだからいいことすらしたかとさえ思っちゃう
中には住職さんに、こんな高い仏像奉納してやったんだぞと
内心思っちゃってる方だっていそう
これだって、お家で拝み切れない仏像なんだから、お寺でわざわざ別座なんかで拝むわけだから、普通はお布施云々が必要で
それこそ毎月拝んでくださいであるべきという話
確かに!!!!!!!!!
その辺り世間は勘違いしてますね 怖すぎ!!!
師僧の師僧が、撮影所や他のお寺さんなんかにも定期的に
出張祈祷に行かれてたお話を
そのお寺や撮影所が代代わりして、これからはもう大丈夫です~
という感じでお断りになった
祈祷に行かなくなったら火事が出た そんなことも聞きましたが
祈祷云々も、根治というよりも、現象や因縁を押さえてる場合が
やはり結構あるのでしょう
加持祈祷になじみのない方なんかは、一回祈祷や護摩を頼んだら
もう大丈夫でしょ~
そんな方多いと思います
お寺さんなんかで、月例の祈祷を毎月頼んでる人なんか見ると
なんで??一回もうやってもらってるじゃん?
そんなこと思う方が大半だと思うのですが
やはり病気であったり、因縁系(家系や土地や様々)であったり
そういったものって根治というよりも現象を祈祷で押さえてる
そういう場合がとても多いのでしょうね~
ご商売なんかは、売り上げをなんとか維持してくれてるてきな感じで
同じ祈祷なんかでも、何となくやっとくか~、そんな感じで
受けるのと、本気で押さえてもらってる、守っていただいてると
思うのって当然効果って違うのです
その時に同じような働きをしてくれたとしても
その後、神仏や眷属さんたちが働き続けてくれるか
その場限りなのかでどえらい変わるでしょうね~
水子じゃなくても、家の墓参りや供養も同じで
禍、障りを無くしてくれ~というのは結局こちらのかってな言い分
じゃ、それらが無くなったら目的達成ということで縁切りか??
となっちゃう
やっぱ供養というのは、亡くなった方々のためにするもんですよね~
その結果何かしらの利益があるかもしれないし、ないかもしれませんが
目的が私たちの利益に~というのは
やはりよろしくないですな~