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修行の目的と神様に愛されるタイプ

世の中には色んな修業がある

てくてく山の中あるいたり、籠ってひたすら真言あげたり

滝に打たれたり云々と

 

仏教なんかであれば、在家の方でも得度するときには戒というものを

授かる

いわゆる受戒というもの

 

たえいては、怒っちゃだめよ、盗んじゃだめよ、騙しちゃだめよ~

そんな内容のことを守りなさいというもの

 

ぜ~んぶ何のためなのでしょ?人によってさまざまだと思いますが

昔の修験の行者さんのように超人的な霊能力を得るためであったり

 

衆生救済のために、加持祈祷が効くように

はたまた仏様がお好きだから仏道に入る、仏道に接する云々あると思いますが

 

最近私がマジで思うのが

結局目的って自分の中の仏性というものを現わすためなんでしょう

戒を守るということも、自分の中の仏性を表に出すための大事なこと

 

そんな気がします 仏性に気づくと言い換えてもですが

 

なんだそりゃ??ですが

自分のなかにも仏様(仏様の因子でも)というものがあるのだな~

と気づくことが本来の目的なのでしょう

 

神道なんかでは仏様の部分が神様になっていて

穢れなんかを払い落とすことによって自分の中の神様が

光り輝く

 

そんな感じのことなのでしょう

皆様大好きな霊能力や超人的なお力

この手のものも、結局は神さまや仏性に気づいたり、表に現れてくれば

自ずと必要な形で表れていくのかもですね~

 

だって神様や仏様って完璧なお方でそういうものを持ってる存在ですから!!

 

ま、修行の目的ってそれしかないのでしょう

人を助けたい云々も、仏性や自分の中の神様~と言うものが

表に出すことができてその延長戦上にあるものなのでしょう

 

さて皆さんとっても気になる上手に神さまにお願いする方法

ふと思ったことがありまして(頭のなかがアレな人間なので

仏様が言うにはという誇大妄想)

 

ちょっと能力があるとか思いあがると、自分が神様や仏様、はたまた龍神様なんかを思い通りに動かせると妄想しちゃうじゃないですか

人間って

それこそこうこうこう動いて金運爆上げ!!的に

 

そりゃどう考えてもおかしいだろ~

神さまを思い通りに動かせるというイメージ自体が思い上がりだろ

そんなことをおっしゃる

 

結局人間なんかが神様や仏様にできることは、手を合わせてお願いすることだけなんですね

 

ただそれだけ

そっから先は神さま仏様、もしくはご眷属様たちが決めることなんです

ただ手を合わせて祈るだけでも、やっぱり通じやすい方とそうじゃない方もいる

残念ですが

どういう方が通じやすいかと言いますと、当たり前なのですが

神さま、仏様が振り向いてくれる方なんですね

 

どんな人???

そんなのはどえらい簡単なお話で、結局神仏様が好ましいと思う方に決まってるのです

徳があって、神仏様の意に沿ったようなお方でしょ

 

徳というものに関しては先祖の陰徳、ご自身の積み上げた徳云々で

陰徳の部分ではどうにもなりませんが

私のような徳に満ち溢れたお顔の人物は、やはり先祖の陰徳が沢山なのでしょ~ ははは

 

もひとつの意に沿った人物

結局は最初に書いた、戒というのを守った生き方をする方なのでしょう

人間だもの、中々きちんと守れないですが

 

守ろうと努力が見える人と言い換えてもですね~

結局そのあたりの目的意識を持たない限り

 

どれだけ凄い行やったりしてもあんま効果は上がんないかも

ちなみにもひとつ思うことが

 

切れやすい方なんかが、その手の能力手にいれちゃったらろくなことにならんかも

神仏様ではない方々につながったりするのでしょうね~

皆さん大好きな陰謀論的に言えば

 

光の勢力ではなく闇の勢力に スターウォーズ好きな私的に言えば

ダースベイダーになっちゃう

そんな感覚かも

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