さて以前木曽義仲と武田勝頼ってあまりにも似すぎている!!
生まれ変わりじゃないか?と書きましたが
どちらも当時としては多分最強クラスの武力じゃないですか
勝頼さんだって武だけでいえば信玄以上という評価もある猛将で
ついでにどちらも性格に難があり家臣の心が離れて
最後は寂しく討たれます的な
でそのお二人の霊視!!と思いきや全く関係ないお話で
いや、多少はあります
これ私が勝手に感じてるだけでですね 全く歴史的裏付けゼロですが
徳川家に仇を成すと言えば 妖刀村正というのがありますが
実はそれ以上にと昨日トイレでふと浮かんだことが
実は武田家の呪い
家康自身信玄公を尊敬して武田家滅亡後は家臣団を取り入れたり
武田の赤備えを井伊の赤備えにしたりの
信玄公LOVEじゃないっすか
子孫も高家として旗本になったりやら
なのですが どうも家康の息子たちやらで信玄公に憧れたりそういう思いを持つと不幸になるという感じがするのです はい
まずは長男信康さん この方も不遇の切腹ですが
ま、その時は武田家ありましたので 関係ないでしょう
こっからですが
次男の秀康さんとその息子の越前少将忠直さん
前者は家康に警戒され将軍となれずに謎の死
ま、梅毒やら難病やら毒殺説もありますが 私の感覚だと難病の気が
いまでいうパーキンソン病的な感じじゃないかと
忠直さんはご乱行の末に配流
で9男の忠輝さん 政宗さんの婿殿にもなった人物ですがこの方も
なんだかんだで配流 軟禁状態で90過ぎまでいきましたとさ
という感じで なんとなくですね
皆さん信玄公にあこがれもってたんじゃないかとすごく感じるのです はい
ちなみに絶対信玄公にあこがれもってただろと思うのが
尾張名古屋の藩祖義直公と紀州の頼宜公
な~んかしらんが德川性の場合はなぜかなんとか助かってるんですよね
義直公はやらかしてお取り潰しの危機はないけど
(ま、子孫の宗春公の時代に危機あり)
頼宜公の場合は由井正雪の乱に加担してたんじゃないかという
絶体絶命のピンチが
ま、文献やらには全く乗ってませんが
信玄公にあこがれを持つと不幸にしちゃう呪いがあったかも??
とふと思っただけです
ま、トンデモです
家康を生涯にわたって苦しめたのって結局武田信玄の家臣であった真田家ですしね~
生涯最大の危機本能寺の変による伊賀越え
これだって武田家を亡ぼしたお礼に~の意味合いで都でも見物してゆっくりしてね~と信長に呼ばれたわけで
ついでにそこに武田家を裏切った穴山さんなんかがちゃっかり家康の家臣となってついて来たりですからね~