以前知人の代々霊能者の家系の方との会話した内容を思い出しました
その方自身は霊を扱わないのですが、親やおばあさんの代はやはり霊を
扱っていたので、霊の扱いというものは分かってる方
霊能者って体壊すこと多いよね~、行者の末路は憐れという言葉が
あるくらい、霊を扱う人は特に
自分もいろんな霊能者見たり話し聞いたりしたけど、やっぱ実際あると思うんだよね~
昔の行者さんや拝み屋さんって内臓を無くして本物~と言われてた位だからね~
そんな内容でした
今になって思うと、結局のところ、身を護るということへの意識が
弱かったんだろうな~とすごく思う
いわゆる霊能者さんの中には、お金もらったりして、相手の業を受け流せばもらわないという方もいますが
そういうことも実際あるでしょうが、やはり受け流すだけではなく
守るということをしないとよろしくない
我がやなんかも、強力と言われる眷属を使うときは
床(実際は畳)に小刀を抜き身でぶっ刺していたと言いますから
自分に向かってきたら刺すという意識で行ってたそうですしね~
戦前なんかは、父方はいわゆる大庄屋様でしたが、何故だか苗字と帯刀を許されてたから、馬上で使うどでかい馬上刀(父が言うには先祖は
牛馬刀と呼んでたらしい、それをやはり置いていたそうなのです
呪術を行う際や枕元、んんん?と思うときは玄関なんかに
陰陽道なんかでも(土御門のような正当な方は知りませんが)
式王子なんかの強力な眷属使うときはやはり脇差や小刀を
抜き身でぶっ刺してたという話聞きますもん
そこの家は、向かってきたらというよりも、言うこと聞かなかったら
刺すぞてきな恫喝で使ってたそうですが
密教なんかも、本尊様を呼ぶとき、一緒に眷属さんなんかもやってくるのですが、その中には夜叉や鬼神の類なんかもいるから
そのたぐいのものはこっちには来るなとばかりに追い払って~
そんなこともするくらいやはりその手のものって来ること前提なんですな
昨今のスピの神様は愛と慈悲の塊で~悪い想念を持たなければ
悪いものは寄ってきませんてきな甘っちょろい内容ではないのです
ま、結局、ヒプノや寄り加持のような自分をある意味明け渡しちゃう系のものってそのあたりの認識がきちんとできてないと
どえらい怖いよね~という結論だったのですが
あと、霊能者さんで霊を扱う方々も、基本自己流が多いじゃないっすか
それは怖いよね~と
たしかに能力値が高くて自己流で祓ったりできる方って世の中にいるのです
ただ自己流って霊の扱いに対しての知識や経験知というのが低いから
その辺りの怖さや、昔の人たちがどうやって霊を扱って何を気を付けてきたか
そういう積み上げがないのですな そうするとやはり攻という霊を祓ったり成仏させたりという方向ばかりに目が言って
守という自分やクライアントさんを守るという意識が二の次になることが多くなり、行者の末路は~と言う方向になりやすいよね~
ちなみに我が家なんかは民間の陰陽道や修験や密教なんかも
雑多に取り入れてるのですが、それでも守りという意識は低いな~と
思いますもん
これはですね、密教でいうところの加行といういわゆる祈祷をするにあたってややらねばいけないカリキュラムがありまして
それをやらないと、どれだけ守というものが大事なのかということが
中々わかんないのでしょう いやというほど身を護るという内容が出てきますから
加行には胎蔵界という内容がありまして、そこには自分の身体を曼荼羅化というものがあるのです
ま、自分の身体に仏様を配置して曼荼羅化しちゃうというもの
ある意味それは最強の防御法とも言えますしね~
ちなみに今私が興味を持ってるのは日蓮宗の祈祷なんです
あそこって死んじゃうくらいのどえらい行を行ってようやく
祈祷の認可じゃないっすか
日蓮の祈祷というと木剣加持でなんだか攻めのイメージが強いのですが
多分守るということも徹底して行を行う内容があるんだろうな~と
勝手に想像をしてるのです
人間やっぱり命あってのものだもの