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細木数子と寂聴さんの死と昭和の終わり

細木さんがなくなった翌日に寂聴さんもなくなりましたね

まさに巨星落つ!!

好き嫌いはとりあえず置いといて

 

寂聴さんなんかみてると芸術(特に文学)というものは業が深いものだな~と思う

 

誰かが言ってましたが業の深さの分だけ良い作品がかけるって

まさに!!と思います

 

昭和の時代までって文学も芸能界なんかも業の深さが作品の深み

そんな感じだったのでしょう

 

歌謡曲なんかでも宇多田の母ちゃんや百恵ちゃんだって多分そんな感じじゃないっすか

 

明治、大正、昭和のある時代までのいわゆる文豪たちの作品って

凄味があるじゃないですか

 

多分人間の業というものを描いてたのでしょう そして描く方々も業を背負った生き方だったんだろうな~

時代というものもそれを許容できたのでしょう

 

ただ今の時代って役者や物書き、芸術家といった社会の枠からはみ出した方々にも

 

そういった生き方を許容できないから多分あの時代の凄みというものは

もう生まれないのかもですhな~

 

第二の細木さんや寂聴さんというものは存在を許さない社会になっているのでしょう

ちっちゃな細木は出てきても、あれだけのスケールは出ないでしょうな~

良くも悪くも

 

そうかんがえると昭和って凄い時代ですね

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