さてそろそろお正月ということで(早すぎ)
鎌倉のおっかないお話を
例年初もうででにぎわう鶴岡八幡宮さん
その中に源平池というのがありまして
源氏池と平家池というのが左右にあって
源氏池には弁才天が
祀られてまして
これ頼朝が平家追討のために作らせた池で
実はこの弁財天のある場所辺りがかなり強い力のスポットと
霊能者の中の一部では噂なのです ははは
ココですね 私の中では結構まだ残ってるのです
何がって?呪詛の薫りが
当然平氏を滅亡させる呪詛として作ってるわけじゃん
で弁才天 何か浮かびません??
江の島の弁才天です
宝物殿のこの方
この方は頼朝さんが奥州征討のために文覚さんにほらせて
藤原秀衡調伏祈祷したという弁天様
実はこの2つの弁天様 セットなんじゃないかと感じてるのです
江の島お参りしたら龍口神社もセットでと言われますが
これは龍神をメインで考えた場合で
弁天様の場合はこっちをセットでその関係性も意識しながらはおすすめ
今の時代調伏とかってあれですから
例えば立身出世やら勝運祈願的な場合は特に
ちなみに私藤沢市民ですが 江の島辺りまでの藤沢と鶴岡八幡辺りまでって感覚的に
セットなんです
地域的に 藤沢駅の方よりも海伝いといいますか 海岸線や江ノ電なんかで
お二人の弁天様の関係が今でもかも??
さてもう一つお正月らしい血なまぐさい鎌倉を
鶴岡八幡八幡宮の参道の若宮大路ってあるじゃないですか
由比ガ浜まで続くこの道
実は頼朝が来るまではまっすぐではなく結構曲がりくねってたのです
なぜかって??
沼地だったから
じつは沼地というのが血みどろかまくらの元になったんじゃないかと
私は妄想してまして
鶴岡八幡さんの近くに宝戒寺というお寺がありまして
1メーター越えの大きな聖天様がいらっしゃるという
ここですね 元々は北条得宗家の邸宅でして
ま、北条本家の家
ここで義時や政子、泰時なんかの頼朝亡き後の幕府のトップが
夜な夜な次は誰を殺そうか(滅ぼそうか)と密談してた場所でして
ま、ある意味血塗られた鎌倉の歴史はここで作られたという
ちなみにここのすぐ近くに幕府滅亡時に最後の執権以下800人くらいが立てこもって腹切って亡くなった
東勝寺の腹きりやぐらがありまして(鎌倉のおっかないスポット)
ま、お好きな人は勝手に行ってください
私画像検索しようとするだけで気持ち悪くなっちゃうので
ということで次回に続きます