ちょっと真面目に行者さんのお話
行者さんと言ってもいろんなタイプがある
密教や修験系から、日蓮系、神道系やうちのような民間の陰陽道なんかもみたいな民間の拝み屋さん系
バックボーンは様々
密教や陰陽道、某宗派なんかだと平安の昔は一緒に活動~と言うことも多々あったというくらい案外親和性が高い
密教の法なんかにも陰陽道の影響~というものもあれば(多分修験の法に多い)
わが家のように密教的なものをちゃっかり取り入れてる民間の陰陽道なんかも多分結構ある
播磨のいわゆる法師陰陽師なんかは官官陰陽師の技術が密教なんかの御坊さんにわたって~とも言われますからね
さてそんな密教と陰陽道ですが、根本的に違うことがやはりある
本尊を通すか通さないかというものなのです
ま、いつも言うように信仰という部分にも通じるとこでして
陰陽道が大きく発展できなかった要因の一つに信仰という形態に
なっていかなかったということがあると思うのです
仏教って信仰という形態で信者さんたちが集まり大きく発展したということがあるじゃないですか
陰陽道の場合はあくまでもおうちの技術であって、仏教のように
本尊を信者さんが信仰という形ではないんですね
皆さん大好きな安倍晴明さんの安倍家
安倍文珠院という有名なとこがあって文殊様をお祀りしてるけど
当時の晴明さんのお客様たち(藤原道長さん等)って晴明さんを信頼して頼っても、安倍文珠院の文殊様を信仰~とはならなかった
あくまでも安倍家の念持仏という立ち位置だったのだと思うのです
術と法というものがありまして、書籍なんかでも何気に使ってますが
実は大きな違いがあるのです
あくまでも私が勝手に考えてることなのですが
術というのは神仏というものを通さずに能動的なもの
自分がなになにを使う
そんなもので
法というものは神仏を通してという世界であくまでも
受動的なものなんですね
陰陽道なんかは当然前者 私の好きな荒俣先生が陰陽道の研究にはまってた頃、陰陽道というのはあくまでも技術屋というようなことをかいてまして(確か)
凄く納得したことがあるのです
術という技術を磨いていく世界 式や眷属と言った霊的な存在をいかに上手に使えるかという世界
万物である五行や時間や方位をいかに上手に使いこなすかという世界なんですね
そう考えたら陰陽道のお仕事が暦と天文って分かるじゃないっすか~
暦と天文の中に方位や時間と言ったものが含まれてる、というかそのものじゃないですか~
五行説なんかも万物を五つのカテゴリーに分類して、結局その五つのカテゴリーで術を使う
ある意味凄くシンプルで使いやすい
火を使いたいけど、本物の火なんかかけて都中が火の海になったら
当然大犯罪で極刑~
じゃ、本物の火ではなく、火の象意のものを火として使っちゃうか~
そりゃあちゃっかりと使いやすい!!
そんな感じで創意工夫というものもできちゃう世界じゃないですか
術の世界って
さてこちらは祖母がよく使ってた蛇式を暇だったので
トイレットペーパーで作りました~ ははは
本当はトイレットペーパーで作るもんじゃないですが
もちっと大きく作ってもちっと寝てる姿にするのです
病人さんなんかにはあることをやって使ったりです
ちなみに鎌首を上げたバージョンがありまして
当然そちらは呪詛やら何やらのおっかない方に使うバージョンです
(呪詛=呪う以外にも病気の根源を食い破る、負の元を食い破る、そんな感じも)
とうぜんおっかないので鎌首バージョンは使いません