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天海の正体は明智光秀?でるべき必然性

家康、朱子学の続きね。ますその前に。家康って秀頼殺してるから凄く評判悪いでしょ?

でも実は秀吉の方がもっとひどいわけ。

なぜって信長の息子や側室(確か)を殺して主家を滅ぼしてる(ま、残ってるが)でしょ?
とんでもない極悪人なわけ。実は。

ですが孫を担ぎ上げたのでそんなイメージはないでしょ?
多分そのとき家康は、しまった、その手があったか!!と秀吉に舌を巻いたと思うのです。

さて家康の律儀者で云々というイメージ、これは神君家康のイメージ戦略で後に徳川実記などで
作られてますが。

という前振りね。

で、朱子学をは皆さんのコメの通りです。ま、下克上を起こさせないように下の身分が上の者を倒さないようにというイデオロギーをです。

と、もう一つ。仰るように、信長様は徳がなくなったから天の意思で殺されたという感じにねというね。覇者は力で手に入れるものだが天帝は天が選んで徳がなくなったら他のものにという
中国の思相ね。(うろ覚えですまん)

たしか陽明学とかってそんな思想だよね?(学がないのであやしいが)

ともう一つ。以前も書いたが最近の研究で家康はどうやら信長の同盟者というよりもはや配下の
ものだったというとこね。

ここが凄く大事。当時の諸将も世間も皆さん知ってたと思うのです。
そうすると後の神君家康にとっては非常にまずいわけ。

結局豊臣を滅ぼして天下を取ったが(実際は狙ってる頃から)それって主殺しの悪名を後世まで着ちゃうわけ。

家康って多分当時最も書を読んで学んだであろう武将わけじゃん。もう吾妻鏡とか。
頼朝の手法凄く研究した人でしょ?

家康は確実にある種の大義名分がないものは負けると知ってたの。
そうすると信長の配下の私がでは一度臣下の礼を取った豊臣に弓を引くのは逆ぞくなわけ。

そこで天海=明智光秀を流布させたというのがあると。
そこはもう確信。

 

なぜか?結局秀吉って孫を担ぎ上げ正当性を持ってきたのと、主君を殺した光秀を滅ぼし
主君のあだを取ったのが後継者となる大義名分だったわけでしょ?

そこで実は太閤の死後だが、光秀は生きてるじゃないか、太閤殿下!!と世間に持ってきた。
もう一つは主君を滅ぼした光秀を重用するということって当時でもありえないじゃん。

でもあえてそれをしたというのは。実は私は(家康)信長様の配下ではなく対等な関係の同盟者
だったんだよって。
配下だったらありえないことだが同盟者としてならねって。

しかも信長の死後20年近くたってるからまず生存はないし例え生存してても影響力ないでしょ?
配下の武将達より家康の方が力もっちゃったし。

さて同盟者だったと宣言ってそんな重要?と思うでしょ?
メッチャ重要。

 

思いおこしてみてくださいなと?秀吉は信長の配下だった。家康は配下ではなく同盟者だった。
さてどっちが次の天下人の大儀はありそう?

家康でしょ?もし秀吉にするなら信長の遺児などを立てて自分は後継人としてしか。
(実際そうしたが)。でもいつの間にか天下人になったでしょ?

秀吉存命中は家康も臣下として生きていたが死後、実は太閤、あんたは主家をのっとった極悪人ですぞ!!
もし私が立ったら大義名分は私にありますぞ!!って。

さてなぜそこまで大儀にこだわったか。1599年頃天海を重用でしょ?
関が原の前年なわけ。

ということは家康が必死に諸侯に手紙送ったり禁止されてた勝手に大名同士結婚させたりと
味方作ってた頃なの。

諸侯への大儀は秀より公の恩為で、この信長の同盟者というのは実は自分よりの諸侯への
大儀じゃないかなと。たとえば黒田長政とかに。

ということで続きます

 

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