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中尊寺金色堂はなぜ金なのか?

さて中尊寺金色堂の続きね。

 

前編かいたかどうか微妙ですが ははは


これ装置だって。みんなで極楽浄土に行きましょって言う。


ま、どこもそうだけど特にね。

でみんなって言うのは奥羽の民だったりで。


多分奥州の藤原時代って凄く民衆に優しく

民衆の支持も高い政権だったのだと。

でその理由の一つがやはり豊富な金の産出。

(ある意味これが全てかも)。

ま、それがあるから めちゃくちゃな税金の取り立ては

基本的に少なかったのかなあと

 

あくまでも東国と比べてねという注釈付き

 


金色堂って色んな捉え方あるじゃん。


都に対する奥州の高い文化と経済力の象徴とか。

多分その発想は伊達政宗の仙台構想ですね。


藤原氏は金=神聖なもの(我々の生活の基盤、且つ浄土そのもの)


と捉えやはり宗教的な位置づけで作ってます。

 

まさにこの世に浄土を作って死んだら

ここに集まってそっから本当の浄土に行きましょうって。


で本当にいけちゃうって言うね。

 

ま、当たり前だがその中には関東や都は入ってなくて

あくまで辺境の地奥州の民なんだけど。


これって凄くない?平安期の貴族達の浄土信仰って

みんなをじゃなく自分達がでしょ?あくまで貴族というか

 

氏族というか もっと言うと家族ではなく私がという


それこそ死にのぞんで阿弥陀仏の指から五色のヒモを

自分の指に結んでそのまま阿弥陀の元にとかって。

 

奥州藤原氏の発想ってそれこそ天皇家のはっそうですね。


わが民、って感じで。

 

ついでにおっちょこちょい武田家臣が盛り上がってるけど。

(過去記事リメイクなので今となっては意味不明)


私の中の信玄さんね。

 

皆さん肖像画のイメージでおっかない人ってイメージでしょ?

甲斐の虎ってかんじで。


前も書いたがあの肖像画別人。(

最近やっとヨリとも同様教科書でも本人像って言わなくなったね)。

でこの人基本凄く陽気でお人よし、

且つ小心もの。


あんま語られないけど。

 

少なくとも家督を継ぐまではそうだったでしょうね

 

家督を継いでから急速に変わっていったといいますか

何となくですが

 

やはり武田家臣団の影響は強かった感があります

ちなみになぜ金色堂は金なのか

 

多分他のお寺も金にしたかったんでしょうが

奥州ほど金の産出量がなくできなかった

そういうことだったんじゃないかなと

 

そういえば金色堂ってもともとこれを覆う建物もあって

それも金なんだっけ?それは金じゃなかったんだっけ?

 

うろ覚え

 

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