自己啓発本やセミナーって案外続けられないこと多いんだな

自分を愛せないという方いまして

自分を愛するって中々ね。 

まずは自分自身の許せないことってあるじゃん。

それをま、仕方ないとかって想うことからですね。

愛せなかったらとりあえず執着しないことから 

なんでも仕方ないかなって。位は出来るじゃん、

そうすると段々結構どうでもいいじゃんって。

いい意味でね。

そうすると案外心軽くなるし 

軽くなると状況も変わるし


重いうちは変わりません。 

悪くしか。


だって重いんだもん。

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重いものって動かないでしょ?なんだって同じでさあ。

普段科学的じゃないとか言ってる人にかぎってそんなことはない、

強く願えばとかいいそうじゃん。

でも科学的にだって重いものより軽いもののほうが動きやすいじゃん。
重いもんもは水に沈むって。

って前かいたきが。

まずは軽くしましょ。

で許せないこととかを許すのは難しいからどうでもいいじゃんって。
そうしてくと案外心軽くなるじゃん

そうすると状況もだし思考も心も軽くなるじゃん。
ってことは心もいろんなとこ行きやすくなるって感じ

自分を愛する方向にも人に優しくする方向にも

はたまた悪いほうにも。
って感じですかねえ。

もしくは斉藤一人方式で気持ちは全く込めなくても

良い言葉をひたすら言って無理やりそっちの方向に向かう方法も。

色んな方法あるからお好きなほうほう使えばいいんじゃないですか?

ただ手間かかったり面倒なのはぱす そ

んなの続かないし出来ないとき自己嫌悪になるじゃん。

私自己啓発系きらいなんです。

だって本に書いてることって実践できないもん
ハードル高すぎ

あんたは出来たからそうなったカモでも

我々出来ないからそうなれないし
みんな出来ないからあんたにゃなれんじゃんって

それを習慣にするんですということでしょうが

中々そんなたいそうなことは習慣化できないって

家事や仕事で実際大変ですから

で一人氏なんかは凄くハードル低いじゃん

もう設定がそこいらのおばちゃんをだから
だれでも出来ることで

凄いなあ、偉いなあって。
やっぱ設定はなるだけ低くで。

小乗仏教よりは大乗仏教でみんなで手をつないで少し上目指しましょう、

誰もが覚者にはなれんのだからさ、って方がすきだなあ

そういう方法でめっちゃ上って目指すもんじゃないかもで

いまよりちょっと上

ちょっと良くなるくらいでいいんじゃないですかね

あんま上目指すのはしんどくなりますから

そういうのは そういう役うぇありのある方がすることで

われわれ凡人は 日々の生活がちょっと楽になればよしで

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コメント

  1. ボルドー より:

    ジミヘンさんの、天性の「のらりくらり感」ってすごいですよね。
    老荘的生き方を地でいってる感じ? なかなか真似できない。

    「何をやるべきかよりも何ができるか」、「大きな階段よりも小さなステップ」という考え方が参考になってます。ジミヘンスタイルはこの2点に集約されるんじゃないかとさえ。筏の喩えに通じるものがあるような・・・。

    ここのところ、この世は狡賢い人間ばかりが得をする世界なのに正直に生きるのって意味あるのかなと虚しく感じて、真心こめて周りに愛を振りまくみたいなのがやり切れなくなってたんですが、ジミヘンさんの言葉読んでやっぱりそれも必要かなと思いなおしてるところです。

    人の騙し方とか、そういうのばかり学ばないとと思ってました。まあ、この世では清も濁も必要なのだけど、清を説くものを読んでも何も心に入らない状態になってました。

  2. フジタ より:

    ある意味自分や他者に完璧を求めるから苦しくなるんですかね。自分を愛することのはじめの一歩ってジミヘンさんが言うように心を楽にすることでしょうね。本人にとったらすごい進歩かもですが(><)

    個人的には少し上を目指すを積み重ねて生きやすくなると思ってます。わたしたち最初は赤ちゃんですものね(*´∀`)

  3. ジミヘン より:

    あんま人に求めるのもしんどいですな 思い通りに人がなるはずないので

    少し上くらいがいいですよね 凄い上って無理な場合多いじゃん
    運命論や因果を持ち出すと

    その人の因がによって行ける範囲は決まってますから
    私もそう思ってます 行ける範囲で上のほうくらいがちょうどよいかと