視えない世界の見え方

さて旧ブログの過去記事リマスター

手抜きですがちょっと忙しいので

こういう仕事をしているとよく私の前世は見えますか?
と聞かれます。
正直に言います。視えません。
前世が今の生活に関係有りますか?と聞かれます。
色々です。

凄く関係される方もいるし余り表面に出てこない人もいます。
ただ一ついえることはそんなもの気にするな!!ってことです。
前世や占い等にはまってくと確実に運気落ちます!!(運気自体が何?ってきもするが)。
見えない世界ってやっぱ気になるが元々見えないように作ってあるんだから。不思議って言葉あるでしょ?
思うことも議論することも駄目って意味なんだよ。
現実7割、不思議3割くらいの興味が幸せです。

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あっちの世界興味持ちすぎると精神的に病むこと多いからね。何でって?そういう風に出来てるから。


じゃあ私的な前世の見え方を。
 視えるというよりなんとなく分かるという感じ。
例えば関が原は何年?って質問されて1600年って答えるじゃん。あんな感じ。 笑。
ただ前世って私も含め知り合いの霊能者も言っていたが脳内物語を勝手に作り上げてるかも?って感はあるんだな。
 

例えば江戸時代の農民と浮かんだらそれについて知ってる記憶をつなぎ合わせて辻つまをあわせて納得しちゃう。みたいなさ。

 まず自分自身の頭の中を納得させちゃうモンなんだよ。
人間てさ。で見え方だが正直霊を見るとかより全然薄いね。
頭の中に映像が浮かぶ感じだが、凄く薄い映像で正直余りよく見えない。
凄く画像が悪いテレビというか遠くから山をみて
霧でよく見えないけどとりあえず形は分かるという感じです。
じゃ続きは明日。
アディオス、アミーゴ!!

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コメント

  1. 翠榎 より:

    裏でも書きましたが、教会では私のほかにもう一人、ワイス博士に傾倒されている女性の方がいて、ごミサが終わったあとの懇談会ですぐに共通の趣向から打ち解けて、翻訳者夫妻とご昵懇の方とも、その女性に紹介していただいたんです。
    それで足掛け3年ぐらい根を詰めて教会に通っていたんですが、最後の頃にその女性とこんな会話をしまして、「結局、教会に来た(=呼ばれた)のは、そうしたスピとかの世界とのお別れのためだったね」と。
    まあ、私は先達との出会いが先に会って、だからまず神道、そしてキリスト教カトリックという合わせ技でだったんですが。だから
    恐るべし、伝統宗教
    といったところです。
    ついでに生意気な言い方ですが、「ワイス博士も翻訳者ご夫妻も、そのお役割、どうやら終わったね」ともお話しました。
    「お役割」というのは、ジミヘンさんも旧ブログでたびたび言われておりました、戦前の出口師ですとか、最近でしたら船○氏のことを、(規模は違えど)その時代なりのある種のお役割があって云々、というやつです。
    でも、せっかく教会に来ていながら、そしてとっくの以前に洗礼まで受けられていながら、アカシックレコードがどうしただの、私があの人から不遇な目に会っている(これは本当のことです)のは、前世で逆に彼を酷くこき使ったからその報いからだ、等といった言動を、会うたびに度を強めついって、仰るように怪しげな霊能者に傾倒していかれた人もおりました(前世で云々、の話もその霊能者から言われたこと、とのことでした)。
    そしてせっかく教会に来ているのに、とにかくお御堂(聖堂)に入りたがらない。神社や仏閣にも行きたがらない。明らかに魅入られた存在にそう仕向けられていました。
    せっかく目の前に「本物」があるのに…ああ勿体無い

  2. ジミヘン より:

    役目ってありますよね!!そしてそれは必ず期限があって
    終わらない役目はないです
    教会に来たのは さよ~なら スピの~という言葉 メッチャ道理です
    近年で一番の腑に落ちるといいますか
    伝統宗教って深いです 正直スピやらね~と思っちゃいます
    ま、そればっか千年とかガチデやってれば 
    ただ伝統宗教の問題点も 時代に即さないといいますか 教義は普遍ですが その切り口といいますか 対大衆の部分が 対時代といいますか 圧倒的に努力不足といいますか
    一番の理由は 宗教者ってたいがい 一般社会での経験不足 閉ざされた世界の住民だからなんですよね~
    ちょっと記事にします

  3. 翠榎 より:

    「対民衆」「対時代」への適応

    それはたしかにありますね。
    私の通っていた教会の神父さんは、そのへんがすごく上手な方で。 お説教でも「現代人語」で話されるんです。
    そのため、他の司祭の方々や古いキリスト者の方々(特にいくぶん“原理主義”入ってる方々に多く見られたのですが)からは、「軽い」と批判されることも多くて…、まあ賛否両論はあったんですが、でも私たち新参者にとってはとにかく話が面白い!
    そのため大変な人気な方で、九州や北海道からもその説教が聞きたくてわざわざ人がやってきます。
    なのでごミサの時はお御堂(ご聖堂)内に人が入り切れず、外まで人が溢れていました。また、その司祭さんから受洗を希望される方が引きもきらないという様相でした。
    まあそのように大変な人気神父さんなので、外からの取材や講演の依頼などの数も大変に多く、また、大学の講師や映画評論家などのお仕事も請け負われているため、時たまそうした依頼やお仕事と被ってどうしてもごミサに出られない時がありました。
    そういう時には他の神父さんが代わりにごミサに来られるんですが…、
    その説教が初っぱなからとにかくつまらない、退屈、眠い…、さらにだんだんとある種の圧迫感に苛まれるようになってきて、しまいには持病の過呼吸が出てきて、申し訳ないけど急いで外に出てしまいました。
    現代の人たちを惹きつける能力って本当に大事です。
    神道の場合は「惟神(かんながら)言挙げせず」で、聖書や経文のような聖典が存在しないのでまだ良いのですが、
    説教とか講話が必要なキリスト教、仏教には急務の問題ですね。
    仰るように、聖職者の社会経験の有無、その豊富さなども多いに関係してると思います。

  4. ジミヘン より:

    まず人の心をつかむ 一番大事ですね~ いくらいい教えも 誰も興味持たずに聞く耳もたずは その教えの意味がないです まずは聞いてもらうことから いきなり難しい立派なことなんか広まらないですから 徐々にでいいです 現世利益もそのための方便ですし
    弘法様も嘘も方便で 逆にそれができない 許容できない宗教者って器量が狭いと思います

    私も ブレス まず体にわかる効果というのを 術で最初に込めるのです ははは 猛烈な眠気や熱くなる~とか
    術も祈祷も 信じるというのが大事なので 逆にそこを信じさせれない人は術者として
    密教僧、霊能者としての能力がないと思います
    まず その人物への興味 魅力 そっからですね~

    いまなんかSNSで発信できるから 霊能者さんもお坊さん上手に使えばいいのに
    と思いながらも みなさん 発信下手 小難しかったりつまらんかったりが多くて ははは