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お釈迦様と鬱病と

お釈迦様という方がいまして インドの王様のせがれで

ずーっと王宮から出ない温室育ちのボンボンでして

ある時外の世界に出たら 人が苦しんでたり死んでたりするの見て

びっくり仰天

 

人間って死んじゃうの~?マジで??俺もああなるの?

めっちゃショック という感じで今でいう鬱になって

王宮を飛び出した そうな

 

で修行やらスジャータさんにおかゆかなんかもらったりで

悟ったそうで

 

ちなみに私勉強不足であんま分かってないこと前提なので

これから書く内容も突っ込みどこ満載なので

 

温かく見守ってねと

 

さてそのお話聞いたときに思ったのが

お釈迦様は救われたのかなと 鬱は治ったのかなと

 

ほら、たぶん悟ったわけじゃないですか

悟りの境地に至ったという 多分

悟ると鬱は治る 現世に苦しみから解放されるのか

もしくは 悟りと苦しみは別のお話なのか

 

もしくは 人間生きるというのは苦しいときことだよね~

ということを知って苦しみは前提条件

 

それを受け入れてさてさて というのが悟りだったのか

ま、お前がきちんと調べろよ なのですが ははは

 

それ思ったわけ

 

あとですね 王宮の中では苦しみから逃れれないのか?

悟れないのか?と

 

(悟りの境地=苦から解放としたら)

もしこのお話が 結構盛られてて昔話のようなこうすると良いのだよ

ということが盛り込まれていたら

 

さてそっから何を学ぶ?

 

多分お金やらたくさん持ってっても それで苦というものは

解消できない

 

悟るというのはですな 閉ざされた空間の中では至れない

自然を見て摂理を学んで

他者と触れ合うことでしか無理なんじゃないか?

 

かもねと

 

これ実は深いなあ~と思ったのです

私ですね鬱やらってですね

 

視線を自分から他者に変えない限り完治しないのでは?

と思うのです

 

逆に言うと他者の存在や心に視線が向かなくなってると

鬱かもねと

 

これと同じように鬱が心の病と設定した場合

心=自分で 体を器 他人さんとしたら

 

いつも言いますが心へのアプローチも大事でしょうが

身体へのアプローチも有効なんだろうなと はい

 

ま、長くなるので割愛 旧ブログのどっかに書いてるので

 

さてブッタさん 最終的に鬱を克服したとしたらですね

多分経典やらにその克服法というのが書かれてると思うのです

 

どんな修行やってどんな人にあって そこでどんな会話やら

付き合いがあって 最終的にはこんな境地になりましてという

プロセスが

 

なんとなく 最終的には人間死とかからは逃れれないよね

(死以外にも逃れれない病老云々)

 

さてそれを前提としてどうしましょ

がスタートになってる気が

 

この世は前提条件というのがありまして

この設定は王様だろうが乞食だろうが

あき竹城だろう乱一世だろうが 変えることはできないし

みな等しくあるんですなという

 

多分仏教的アプローチって現代の心の病なんかに使えそうな

気がしたㇼ

 

長くなるので続くはずです はい 気が向けば

 

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