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三河武士は本当に忠実な犬だったのか?いや違う

さて神と会話した人物ということで 織田信長さん 登場多いでしょ?
単に好きだから ははは

霊的にもメッチャ重要ですから 実は私の中の歴史では この人から近世が始まってるのです はい

ちなみに他にすきなのは 徳川宗春さんです

さて信長さん この方がある存在と会話してたって書いたでしょ?
岐阜時代から声が聞こえていたと思います

岐阜に改名したじゃないですか そのあたりも影響かも
信長さん 安土城天主(あえて天守ではないのです この方の場合は)

酒を酌み交わして その存在と語ってたと書いたでしょ?天皇の行幸の間を見下して

これね すごく大事なポイントなのです ある存在との関係にしても
まず天主(自分が存在する場所)から見下せるところ(見おろすでなく)

に天皇が来たときに過ごすとこをあえて作ったのです
たまたまでなく 考えすぎでしょ?と思われるかもですが

昭和の時代だって 皇居を見おろせない高さと場所にしかビル建てれなかったじゃないですか?

昭和でもですよ!!当時の家臣団や公家衆なんか え?マジで?と驚いたでしょうし 伝え聞いた天皇は怒り心頭でしょう

天皇より高いところから見おろす 俺のほうが上だぞって意思表示じゃないですか

信長さんね 安土城で自分にお賽銭あげたり拝んだら現世利益与えるぞ

っていってるじゃないですか?それを称して 神になろうとしたっていう説もあるくらい 正しいです 補足は必要だけど

それは 今の新興宗教の教祖が神がかりなんかで 自分は神である!!というのとまったく違うのです

ここからがこの方を理解するうえでメッチャ重要 この方神がかりではなく
必要だったから新しい信仰の対象となろうとしたのです

きっかけは一向一揆 そのころにある存在が だったら神になっちゃいなよ~って

そしてその存在に魅入られてないんです この方のすごいとこは
あくまでも対等な立場なのです 信じきってもいないし

ちなみに信長の対天皇,対宗教対策を横で見ながら上手にアレンジしたのがのちの家康さん

 

この方はすごいっすよね~ イメージ的には野村さん(サッチーズハズバンド)ですが

スケールやらなにやら当たり前ですが違いすぎです

ちなみに家康さんの終生の宿題と言うか常に考えてたことは

対豊臣家対策と宗教対策だったと感じます

 

以前ブログで実は家康は三河譜代を信用してなかったと書きましたが

結局はすべて若い頃の三河一向一揆のトラウマなんすよね

 

犬のように主君に仕えると言われた三河武士が(しかも後の側近中の側近本多正信までが)一向宗に味方して家康に弓を引いちゃうのですから

 

そりゃあショックと言うより三河武士を信用できなくなっちゃいますよ

ちなみに犬のように忠実な三河武士像というのは、家康が天下人となり

江戸幕府を開いてから言われるようになった神君家康伝説と同じの

為政者側の歴史なので

多分何故にそんなことを広めたかと言いますと、実際はそうではなかったからだったんだと思います

何故なら信長が京都の治安を治めるために一銭斬りと言う法律作りましたが(今でいえば1円盗んでも死刑)

裏を返せばそこまでしないと治安維持ができなかったというくらい治安が乱れてたということなのです

家康さんも気苦労多いね

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