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ある橋での人柱の女性の話

結構前のお盆の時期のお話です

皆さん大好きな怪談

 

もう10年くらい前になると思うのですが、

お盆の時期に、関西の某所に行った

 

とある昔からある大きな橋の袂で

ある女性の霊を視かけた

 

年のころは多分20くらい 

身なりはとても貧しく目が見えない感じ

多分この川は、当時からそんなに川の流れが

変わっていなくて、

橋も当時と同じ場所に建てられてる感じなのです

 

なんだかその霊はその場所から動くことができない

 

地縛霊というよりは意図的にその場所に

縛り付けられてる感じ

 

ああ、これは人柱とされて橋の袂に埋められたの

だろうな~

そんな感じがすごくする

 

人柱~なので、死後もそこにとどまるように

なんかされてる感じがすごくする

 

な~ンとなくなのですが、親も母が一人でこちらも目が見えない

 

そんな感じなので、娘が人柱になれば親の面倒は村で見るから

 

そんな感じだった気がする

 

母は娘ではなく自分が人柱に~というも、

若い娘でなければならないから~

結局は押し切られる

 

本当は村の人たちもそんな惨いことはだれも望んでいないけど、

誰かが犠牲にならなければならない

 

村の掟というよりもいわゆるおかみのお達しという

命令なので

従わなければならない 

んな感じ

 

娘の方は目も見えないし、今でいうとこの

精神薄弱的な感じでもあるので当然状況は

理解できないし、説明すらされていない感じ

 

当然村人は、その後の怨霊化を恐れて、

母親の面倒は見るし、

 

多分強力に術を掛けられてるであろうから、

結局その場から動けない

 

そんな感じがしました 

ただ恨みや怨念という感じはしない

 

当時は分かっていなかったですが、

死後、誰かが犠牲にならないといけなかった、

村人も供養してくれたし、母の面倒も終生見てくれたから

 

そんな感覚ですね~

多分江戸期なのでしょうが

 

良い悪いではなく、当時の風習としてお城や橋、

はたまた大きな神社なんかたてるときも人柱~

と言う話があるじゃないですか

 

ただ私が思ったのは、人柱なんかあったら、

供養塔や慰霊碑

位は当時でも。

 

少し後の時代でもいいから建てて、

供養してあげればいいのに~なのですが

 

村としてはやはり人柱を建てたという事実は

風化させたいのでしょうね~

 

お城なんかでも大っぴらに人柱を~

と言うことは示したくなかったのかもですね

 

ちなみに某お城なんかは、だまし討ち的に、

生き埋めにしてる感覚がすごくあるのです

ちなみに二つほどのお城は確実に~と感じまして

 

一つは結局築城した大名家は後にお家騒動で改易

もう一つはそこのお城に入った城主は戦死や

改易云々が続き

 

最後は天守以外が取り壊し~

最終的には地震で天守も崩壊

と私的には呪われたお城なのです

 

多分後者は埋められた方の恨みがとても強く、

生き埋めにしたものだけではなく、

そこに関わる城主や、お城自体にも

強い恨みを抱き

 

お城の存在自体を破壊したかったんでしょうね

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