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源頼朝は暗殺だった 首謀者は?

さて鎌倉殿頼朝暗殺ですが 私の中では暗殺です

首謀者はですね やはり大きく見れば北条氏に決まってます

結局源の血を絶やしちゃったわけじゃないですか

なんだかんだいって

 

やはり北条家でという思いでしょうね

 

ま、時政あたりが言い出して
息子と娘で談義してというとこでしょう

結局時の歴史書(吾妻鏡やら)に頼朝の死因やらの描写が少ないのって
勝者の歴史に都合悪いから さらっとでしょう

ほら、2代目暗殺なんかは遠く修善寺の出来事なのに 結構リアルに書いてるでしょ?
抵抗したから えいっとふぐりをつかんで(金玉ね)殺したって 首と金玉切り取ってって

800年早い港区弁護士事件ですよ それは

ですが目の前で落馬してその後なくなった偉大なる棟梁の死について記述少なすぎ

で北条が糸引いてます だけではつまらんよね 実際

ちなみに北条家って珍しく基本どなたもとても聡明じゃないですか その北条さんが書いた絵

そりゃ完璧だと思いますよ 暗殺決めた時点で その後の政権運営(特にライバルとなる有力
御家人の粛清)まで全部考えてたでしょう ただ承久の乱 これだけは予想外で

かなり引っ張りましたが さて直接の犯人は 以前も書いたが 絶対に大江広元

この男しかいないです!!この方有力御家人で唯一といっていい北条政権後も生き残った
勝ち組じゃないですか

しかも4男の子孫は毛利の祖先になって 完全に大江という家は時勢を読む聡明さがあるのでしょう

毛利も結局関が原で負け組みですが ねえ、今の長州閥ですよ って

大江広元って元は都の下級貴族じゃないですか それが鎌倉に下向して頼朝に使えてって

都時代から絶対に官の陰陽師と交流あって 下向じにも連れてきてます 陰陽師
当時の鎌倉ってまだまだ未開だったから土木工事やら必要で

陰陽師って土木を請け負ってたりしてたのです 公文所のみならずそのあたりも請け負ってたんじゃないかと かつそのあたりを仕切ってたと思います

ちなみに鎌倉も陰陽師多かったのですが いつごろ下向してたかは知りません

そしてこの方幕府開いた後も都の土御門なんとか(源のなんとかさん)とかなり交流あったじゃないですか ちなみに土御門ですが陰陽の土御門とは関係なし

荒っぽい関東武者ばかりの幕府で朝廷との橋渡しもしてたでしょ?
どう考えても当時の呪術系の人たちと交流ないわけないじゃん 都の

当時の呪術って今で言うNASAか理研かしらんが そういう最先端の技術なわけ
それこそ後鳥羽上皇が呪詛をがちでしちゃうくらいの

その最新技術集団は鎌倉ではこの人が握ってたと感じます

しかも当時の寺社奉行って陰陽なんかも束ねていて 陰陽と寺社(特に鎌倉はお寺、最新の
中国のテクノロジーの宝庫でしょ?勿論呪術も)

その寺社奉行の中原季時は実は広元と兄弟という説もあるわけ
もし兄弟ではなかったとしても

そういわれるほど仲が良い、親しかったということでしょ?

で立場は寺社奉行より政所別当の(いまでいう官房長官?)広元のが上
それらを完全に握ってる立場じゃん この人

さて疲れたのでまた次回

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