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陰陽師安倍晴明の実像を資料から推測すると

最近また、安倍晴明公に興味がわいてきた

漫画のような呪術者安倍晴明と言うよりも、とても出世の遅かった

遅咲きの官僚としての現実社会での安倍晴明(年収1200万円)くらいか??

 

ははは

この方40歳になるまでの前半生の記録と言うのがほぼほぼない

 

40歳で天文得行生という今でいう大学院生になってますが

当時の40と言うと今でいう65歳くらいじゃないか??(後期高齢者??)

 

その前の記録では、追難という鬼を追い払う行事の鬼役をやったことで

陰陽道に興味を持ち加茂家に弟子入り

 

58歳で陰陽博士という陰陽道を教える今風に言えば国立大学の教授に

なり(当時の平均寿命をとっくに超えてる)

その後各省庁を渡り合歩く

 

70歳で今風に言えば陰陽寮を退官し、その後は占いや不思議な術の名声で一条天皇や藤原道長公の信頼、バックアップを得て

 

各省庁の名誉職を渡り歩く

そんな人生で当時としても異例の遅咲き&長寿

 

ちなみに全国各地にある晴明の墓や生誕地、はたまた晴明伝説は

子孫である土御門の方々なんかが、土御門の象徴である安倍晴明と言う

アイコンを使って、陰陽師の伝説を各地で作り上げて行ったものでしょう

 

そんな感じの学術的資料から安倍晴明と言う人物を探ると

晩年は天文や暦を中心にした占いと、霊視や呪術と言ったマジカルな力を使って政治の中心に入り込んだ人物

 

そこから晴明伝説が作り上げられたと感じますよね

今風に言えば占いの大家が官邸や宮内庁に喰いこむ

 

もしくは陽明学の大家、安岡正篤(晩年は細木先生に誑し込まれて結婚)のような人物像が浮かび上がる

 

ただ安岡先生のように、政界の黒幕、フィクサーと言うよりも

あくまでも、一条天皇や、道長公の私的な占い師

そんなイメージですが

 

当時の一次資料と言うのは、基本公家の日記等くらいしかないので

(現代のようにジャーナリズムはない)

中々実態はつかめないのですが

 

昭和の時代でも、その手の大物フィクサーと言う方々が

政治方針云々に影響を与えていたことを考えると

 

今の総理大臣以上に権力を持っていた道長公との密接な関係を

考えると、結構安倍晴明と言う人物が政治に影響を与えていた可能性もあるのかも

 

しかも当時の晴明は70後半くらい 平均寿命が50歳くらい(もっと短いと言われてます)の平安時代にしたら、まれに見る長寿

 

今でいえば100歳くらいなのに元気な現役の占いの大家

もしくは大宮司や大寺院の管長さん

 

それは普通に接するだけでありがたいと思っちゃいますし、

アドバイスなんかも何だかどえらいありがたい感覚を持っていたでしょうな~

 

 

 

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