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秀吉と勝家の差

おらが町の英雄に太閤殿下がいる。天下を取ったけど、歴史家の間ではそんなに評価が高くない

何故かってオリジナルな政策がほぼほぼなく、すべては主君信長公の猿真似(さるだけに)

大阪城だって、刀狩りや朝鮮出兵あたりまでは実は信長公の生前計画されてたことを踏襲して自分の立案にしてるんじゃないか?と言われてる

 

逆に私が感心するのはそこまで信長公受け継げたことなのです

柴田勝家や丹羽長秀と言った重臣たちが秀吉の立場であったら受け継げたか?と言われたら多分出来なかったと思うのです

なぜかと言うと、秀吉の場合、信長に対して部下ではあるけど師匠的な感覚でお仕えしてたんじゃないかとさえ思うのです

昨今で師匠と部下の関係性が前近代的なものであれば批判の対象となるじゃないっすか?

 

昔でいえば師匠は親というよりももっと上の存在、それこそ法なんかを伝授してくれる神様や仏様のように~だったじゃないっすか

特に宗教や武術の世界なんかであれば

逆にそれくらいじゃないと法の伝授が軽くなちゃう、そしたら効かなくなるというのもあるのです

鬼神のように強い武蔵様から伝授されるからありがたい、法そのものもですが、誰から伝授が大事みたいな

 

また、お花やお茶なんかでもそうですが、師匠の好みや性格、何を望んでるかくらいまでを想像できない人間が、客人を招いて心を尽くしたおもてなしなんかできっこない

密教なんかでいえば師匠の思うことがわかんないのに神仏が思うことなんか受け取れるわけない

そんな感じでして、秀吉公は若かりし頃から主君信長公が何を考え何を望まれ、それに対して自分はどうすべきか。それを誰よりも考えてお仕えしてたんだと思うのです

だからそこまで信長公がやろうとしてたであろうことを受け継げたんだと思うのです

逆に他の武将たちは部下としての忠誠は誓っていても、師匠と弟子の関係という認識はなかったんだと思うのです

ちなみに怪物家康公なんかは、それを少し離れた立ち位置でジーとみてたんでしょうね

 

弟子というものの立ち位置と、師匠というもの立ち位置を俯瞰して

秀吉さんなんかが信長公に対しての接し方を見ながらついでに秀吉がそんな感じで接してきたときの信長公の姿や考えまで想像しちゃうという

 

家康さんなんかの家臣や天下統制ってやはり信長公を反面教師にしてたんだと思うのです

あれだけの権力を持った信長公でさえあんなにあっけなく滅んでしまった

ではどうすれば長く未来永劫に続けれるか?

信長、秀吉という一大の梟雄達が天下というものを継承させれなかったのを見ながら、家康さんはいかに長くという長くということを考え抜いたのでしょう

 

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