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源義経のリーディング 何故怨霊にならないのか

皆さん大好きな怨霊のお話。崇徳上皇や将門公、道真公といった具合に怨霊として恐れられてる方たちには大きな神社を建てて怒んないでくださいよ~とするじゃないっすか

さてそこで疑問が生じないでしょうか?

将門公はお強い方で無念の死~と言うことで怨霊神としてまつられましたが本来でいうと将門公以上に無念の死という方いますよね

それは日本史上初めてアイドルと言ってもよいような存在となったかの源義経公

日本で怨霊となる条件というものがありまして

ざっくりと言えば無実の罪で陥れた(もしくは本人が無実なのにと強く思っている)やんごとなき方々なのです

貴族や皇族のように位の高い方ほど強力な怨霊となるのです

言ってみれば我々のような家畜同然の生き物は平安時代あたりにどれだけひどい殺され方しても怨霊にはなれないのです(という認識)

義経公ってはっきり言ってアスペじゃないっすか?空気全く読めないどころか命令の意図さえ読み取れない人じゃないっすか

なのでこの人の中では自分が頼朝に疎まれ、怒らせた理由なんて全くないのです

それどころか自分が平家をやっつけ最大の功労者なのにこの仕打ち!!と怒ってるはずじゃないっすか

しかも清和天皇に連なる源氏の御曹司という血筋と日本史上最大の軍事の天才

将門公なんかより断然強いわけじゃないっすか

怨霊となる要素しかない!!のですが全く怨霊となった形跡がないどころかそれだけの男を殺した鎌倉殿も義経の怨霊~なんて恐れた形跡がないのです

普通は恐れて祀るじゃないっすか~

ですが義経の首実検後首が流れてきたよ~と言うとこに白旗神社作ったくらい

祀るためにつくったというより元からあった神社に多分地元の人が勝手に祀り始めたと思う感じなのです

頼朝が落馬して亡くなった時も人々は義経の怨霊~といわずに平家の~と言ってたじゃないっすか

凄く不思議じゃないですか??普通であれば義経の怨霊と思いますよね!!

 

義経が怨霊とならなかった理由書いていきます

まず大前提で怨霊って死んだ側が怒ってなるのではなく殺した側の後ろめたさから作り上げるものなのです

 

もうひとつ忘れてならないの基本的には武士と言うものは怨霊を作り上げないです

貴族が作り上げるものなのです

武家は穢れを恐れないが貴族は最も忌み嫌うじゃないですか
特に血の穢れって

そして血を流して死んだものよりも謀略によって殺されたもののほうが怨霊化しやすいのです

私の感覚としては

ま、何事にも例外はありますよ

ね、この前提条件で 義経ならないでしょ?

さて次回は義経がなぜならないか具体的なお話です
死ななかったとか平泉が安息の地だったからじゃないのです

 

簡単に書いちゃうと頼朝さんをはじめとする鎌倉幕府の中枢の人間たちからすれば義経は殺されるべき理由があるからなのです

義経を殺すに至るまでの経緯というものに正当性があるから、幕府としては全く後ろめたくない

そんな理由なのです

残念ながら私もそこは幕府の立場は正しかったと思っているのです

ま、そこに至る経緯の一番の理由は結局義経さんが空気や意図というものを全く読めない極度のアスペだったからなのだと思います

逆にいうとだからこそ平家にバース、岡田、掛布のバックスクリーン3連発!!というような奇跡の3連勝で滅亡させれたのですが

皮肉なもんですな~歴史というのは

 

 

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