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精霊の見方(はい、ノイローゼ!!)

さて旧ブログの過去記事です 過去記事読んでみると人間進歩

するもんだと思います

今読んでもまだまだだなあと ははは

水木先生が言ってたけど 80を過ぎても毎日賢くなっていっ

ていると

私もおもいます

なんか毎日賢くなっているぞと

勉強ができる、記憶が増えるという賢さとは別の

思考の深さといいますか 別のベクトルで

年々賢くなってるなあって ははは

さてこの賢くなったのを どこにどう使うかが大事だなと

ま、使わなくても賢くなるって

楽しいんだよなあ~ ははは

さて過去記事

今日は予定を変えて神社へ初詣に行ったのでそれについて。

0時過ぎに神社へ初詣に行ったのだが流石にその土地の精霊や

らがいらっしゃいました。

精霊って大体どこにいるか分かります?
木の生え際というかそのあたりに結構いますね。
小さいのやら割と大きいのやらいろいろね。

見え方は現実的には青白い小さな光(米粒くらい)だったりが

多いですが、それらは土地のもいるがどちらかというと木やら

の精霊ぽいです。
霊眼で視ると形は見えたりしますが。

ちなみに霊眼ってどう視るかっていうと第三の眼に集中とかで

なく、普通にみてて、

なんかいるなあとか空気の塊がなんか形作ってるなあと感じる

とこをみて想像を働かせるんです。

こんなんかなあ?やらと少し創造すると結構

ちゃんと見えるんです。

あちらに姿を見せる意思があるものならパッと何もしなくても

見えたりするのですが、

姿を見せる意思がないものはこちらが

それなりの準備をしないと見えません。

野生動物なんかと同じでサルや熊がえさを求めたり、危害を加

えるときって普通に姿見えるでしょ?

逆になかなか姿を見せないものってこっちがいろいろセッティ

ングしたり待ったりしないと撮影できないじゃん。

そんな感じです。

で御祭神ですが正直姿を見たことないです。
ただ本殿の上空の空気の大きな塊がデーンと
いらっしゃってたのでたぶんそうでしょう。

祭りやこういう日は見かけますが普段は見えないです。
たぶん普段は本殿に座しているというより、本殿の何かに乗る

というか来る感じなのでしょう。

私神というものは実は一度しか見たことないです。
ただそれは元は人間様で後に祭られたいわゆる人格神ですので

正確には神ではないです。

神は姿なんか現さないと思います。
というかあらわさないようにあえてしてるのだと思います。

人が神を視て、全貌をしってはいけないのだと。
見えないこそ恐れ敬いたたえるのです。

神が見てるかも?と思いよい行いをしたり悪いことをしないと
いう抑止力にもなってるのだと思います。

もし全貌を知ったら人間って侮ったり絶対するでしょ?

それと神社に犬猫はだめです。
神様は許しても眷族(狛犬やら)が本当に不快な思いしてま

す。
この世的にはなんともなくても霊的には結構いろいろされちゃ

います。
おしっこなんかさせては絶対だめ。

眷属って何を一番怒るかというと神に失礼なことをされること

です。

獣は穢れの対象でありとても失礼に当たります。あと血です。

だから昔は女人禁制とか多いでしょ?生理の経血も穢れにあた

るのです。

よい悪いではなくそういうものだから仕方ない。
不純を嫌います。

狛犬って良くも悪くも神様がやくざのカリスマ組長ならそれに

絶対的に心酔してる組員みたいなものだからさ。

世間的に、霊的に善悪でなく神様に対して相手がどう接する

か、すべては神のための性格

だから本当に礼節を欠いてはだめです。

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