全くのニート生活と思いきや、実はいろんな方結構お会いしてるのです
仕事もしてますアピールをしてみるも今更感が
ははは
親の年金で生活してま~す!!
そんなぼんくらな私でも思うことが私でもあるよなないよな
人間のできることってたいしたことないというかですね
結婚したい、会社大きくしたい、、整形したい、アッキーと花見したい、泰葉に金髪豚野郎と言われたい、蓮舫に揚げ足とられたい、
アッコと飲みに行きたい(これは嫌だ)、ラッシャーさんに兄貴と呼ばれたい、たた蓮舫と辻本清美を戦わせてみたい(当然有刺鉄線爆破マッチ)
トランプと神田正輝の髪の毛引っ張りたい
云々とか色々願いあるじゃないですか?
人間が打てる手って案外少ないですね
結構これ以上は打つ手なしという場合が多いです
そういう場合霊能者サンや宗教家さんは神仏にゆだねなさいでしょ?
私が思うのは打つ手が少ないからこそ、できることが少ないからこそ
やれることは全部やっとけ!!なんです
神仏はその後やれることがなくなってから
動から静なんです
なんでもそうですが静から動はうまくいかんです
動があってはじめて受動です
武道なんかでも静から動という技術体系というか
そういうとこってインチキ系多いじゃないっすか
うちは本物だから相手に当てると死んでしまうから乱どりもやらないし
相手にも当てない
中には型すらやらずにひたすら気を練って強くなったというとこもある
お弟子さんたちが極真あたりのフルコン系と戦うと結局ボコられちゃう
そんな感じ 静から動って
私なんかもこざかしい感じの知恵が働く子供だったので
こんな無駄なことやってどうなるの?と思うことが沢山ありましたが
今になって思うと 物事って何が血肉になって効果があったかって案外わからない もしかしたら無駄と思われることが何かしらの強力な効果の要因だったかもですし
案外こんな科学が発達しても数値化できないものの方が多いのかもと
さてそこで大事なのがひとつさて、ちゃんと勉強しとけよということ
(志村風に言えば宿題やったか??)
そのことについてしっかり知識を入れてジャッジできる判断基準を
作っとくのです
そのこと=恋愛だったり仕事だったりの目的ね
何でもやっとけといったって
あまりにも見当はずれなことはやるなよ!!
目的に向かうであろう可能性があることをという話
そこは常識的にね
占い師さんや霊能者さんでそこの判断基準がない、おかしい、非常識
なでアドバイスする人はやはりその方自身もおかしいのです
占いを肯定的に考えるとですね
判断基準のひとつであって
占いが判断基準のすべてではあかんのです
あくまでも判断基準のひとつ
判断ってバランスよく判断しないと絶対おかしな結果が出るのです
それって道理でしょ?
いろんな判断基準があってその案件に対して一番よいバランスの判断基準を構築して ジャッジなのです
そのバランス考えてその結果お告げがというならそれはありですが
最初からお告げありきの判断はちと怖い
社会常識やその時代の空気、置かれた状況なんか総合的に判断して
その中の一つの要素に占いというならありだと思います
大事なのは道具としてどう使うかなのです
ちなみに私が占い師さんのできるできない基準は
まずは当然占いに関する勤勉さと知識量
も一つが占いをどう使ってるかなんですね
道具として上手に使えてるかどうか それができる方ってバランスが取れ、論理的な思考ができる方だと思うので
アドバイスも案外現実に即してると思います 大事です