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名古屋駅の東と西を幻視

さて名古屋ネタ 我が故郷中村遊郭が~遊女が出ますと書きましたが
名古屋駅裏(新幹線の太閤口)、今はBIGカメラですがそこを右に
少し歩くと

ヘルス街があってそのあたりともう少し奥にいくと椿神社というのがあるのです

そのあたりの通りは立ちんぼがいて学生のころはは結構いました

結構(平成の時代にでもだよ)
しかもおばあちゃんばかり

誰が買うのかいつも興味があって眺めてると

サラリーマン(40くらい?)の方が結構メインで今は無きホテル新幹線なんかに入っていってました

夕暮れ時には時々幻視してました 戦後の復興の頃
たぶん昭和20年代半ば~後半?

パーマネントかけたりした女性なんかが花柄や赤とかのワンピース着て左手にサザエさんが持つようなお買い物バッグ?

麦藁帽みたいな生地のバッグ持った派手な女性たちが立ちんぼしてるのを

進駐軍のジープが白川公園とかそっちからブブブーンと砂煙上げて
やってきて(まだ舗装されてない?)

立ちんぼをかって行くという光景

なんかすごく色濃く残ってまして
土地の記憶として名古屋駅の西側の土地の記憶ってその頃が一番強いんじゃないかなあ

もしかしたら

その頃から昭和の40年代くらいまでが最も幸せだった記憶なのかも

最も繁栄してたと言いますか

東側の表玄関はですね

今じゃすっかり青山化してますがの(そりゃいいすぎ)
昭和30年代から40年代のまだ市電が走ってたころなんです

よく幻視するのは駅が今の構想ビルではなく

昭和の時代の東洋一の駅舎と言われてた頃の名古屋駅

坂東さんがまだドラゴンズで活躍されてた頃でしょう(ビフォー燃えよドラゴンズ、最近知りましたがこの曲の作詞、作曲家ってタイムボカンシリーズでおなじみの鬼才山本正之先生の作曲家デビュー曲だったのね

しかもちょくちょくアップデートされる作詞も未だに!!

デビュー曲がいきなりの大ヒット!!安城市しゅっしんだったのね)

名古屋祭りの電飾市電なんかが浮かんだりなので

名古屋市民は名古屋祭りとても楽しみだったんでしょうね

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