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原始的な意識場と呪術

さて呪詛の続き

プリミティブな~と書きましたが
何を書こうとしてたかさっぱり思い出せずです ははは

とりあえず私の基本姿勢ですが手に負えないものは申し訳ないですが

絶対に手を出さない関わらないです

そりゃあ何とかしてあげたい
とは思いますが

自分の力過信はですね この世界というのがです

そこも考え方は様々で
自分が身代わりになってもと思わないと神仏が力を~といわれれば

そうかもしれません

さてさて思い出しました

四国の拝み屋さんたちね(四国というより田舎の)

やっぱ怖いですよです どう考えても怖そうじゃないっすか

だって田舎だもん
呪詛ってですね

やはり昔からのことをそのまま原始的に疑いもなく

今風にアレンジしないもののほうが強い気がしますから
昔の拝みや風なのに

現代のスピ的なものを入れるとするじゃないですか?

手順やらは手軽になりますが効果は落ちると思います
ま、それは私なのですが ははは

情報や人の接触が少なければ少ないほどそのものが残るので
そういうとこの方が怖いです

しかもその術場といいますか地域全体が術は効くと言う意識場
が残ってるわけですから

意識場というやつもですね、どう考えても大都会TOKYO JAPAN

なんかよりも四国や九州の山の中のほうが残ってそうじゃないすか

 

イメージ的に、都会で意識場の力を借りるってできそうにない感じはしますもん

ただこれからネット社会なんかで地方と都心の格差が少なくなっていくと

拝み屋さんの格差も少なくなっていくのかもしれないしそこはわからんですね

 

情報なんかが増えていくと、昔は何の疑いも持たずに行っていたことが、科学的ではない、迷信なんかじゃなかろうか?

そんなことを思いながら術者が術行ってたら

そりゃあ効かなくなりますよね~と思います

多分昔の肉体的な行というものなんかは、能力開発という意味合いよりも、これだけやったんだから術だって法だって効くんですという、確固たる信というものをつかむためという意味合いもあった気がします

 

人間根性論もなかなか大事かもね(私も根性論は好きですが実際自分が根性論で生きろと言われれば当然嫌です)ははは

 

 

 

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