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執着という道具をどう上手に使うか

執着 よいか悪いかわかりません というか 実はよいも悪いものないのでしょう

ただそういうもの 使う人によってよいものににも悪いものにも

それだけで 世の中のものって 人類の進歩 科学の進歩によって生み出されるものも
よい悪いなんかは本当はなくて

ただの道具であって

 

大事なのはその道具をどう使うか 使う人間の道徳心なんでしょうね

執着しまくらなければ 功なり名を残せないですし 人類を救うようなものって作れないじゃないですか

逆に執着しすぎると 生霊となったり成仏できなかったり

生霊も ある一定以上に執着すると その場所であったり あのものや相手に想念が着いて

その想念が物質化(?)するのでしょう 親の愛情であれば子を守ることもあるし
その愛情がゆがんで

子供の道を 自分のよいと思われるものにしようとしすぎれば 縛りすぎちゃって
子供の道が逆に狭まったり ゆがんだりもです

そこはですね 正直自分も悩むとこで たとえば相談に乗るじゃないですか?
私の中でこれが一番よいと思う道があったとして

さてそれは正しいのか?たんに私レベルの話で じつはもっとよい道はあるんじゃないか?
それを提示したとしたら その人はそれに縛られ 逆に悪くなるのでは?

とか思うわけ

なので 基本的に提示するものもいくつか提示するようにしてます 1つよりは2,3と増えたほうが縛られるのは少なくなるし そこに自分で選択するというものができるでしょ?

私の感覚だと すごく大事でして 執着も自分が正しい執着の使い方をしてるか
確かめながらですかね?

子供への執着 難しいですよね 大人が見たら絶対こっちに行くべき この道に行くべき
ってあるじゃないですか?

特に親だったら心配ですから そこを強制していいのか?どうなんでしょ?
たとえば子供を3人東大に入れるために

子供のころから 効果のある学習や生活を強要して めでたく東大に入って
1流企業や官僚になって 生活も安定し~

という生活を送れました

どうですか?そこに子供の意思 選択はないわけでしょ?親としては子供も勉強を嫌がらなかったし東大に入りたいという気持ちでしたと
子供もそうだったと

ですがそれは物心つく前からの刷り込みで それ以外の選択肢はないという前提条件だったとも

これはなんともいえないですよね 子供のためになってるかといえば すごくなってますし はい
子育てに正解なんかないのでしょうねえ 否定もできないじゃないですか?

かといって手放しに肯定も 子供がどういういきかたをしてどういう職業が成功という
答えがないですから はい

話脱線しましたが 結局よく生きてよく死ぬ それが大事なんじゃないかな?
生きてる間は執着しまくってもいいし ただ死んだ瞬間に執着は手放して
上手に死にましょうって

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