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1615年の真田幸村

さて本多正信です その前に黒幕、フィクサーについてですが

本物の黒幕、フィクサーってね、死後も話しません というか出てこないです
逆に死後 ああだこうだと 自慢げに話する方 小物です 信用できないです

というのが持論でして 当然この方出てきません つかめません
同時代にいた 実は私がメッチャ興味ある男

大久保長安という男

 

天下の総代官とも呼ばれ 佐渡奉行や伊達政宗の娘婿
忠輝(家康の倅)の家老もしてた 当時の黒幕

この方なんかも正信と比べたら 小さいですね ちなみに長安は死後も出たがりでよくしゃべります ははは

さて正信さん やはり自分の死後、家康の死後 息子の正純が改易されることは予感してましたね 息子にも大封を得るなといってるくらいで

同僚のねたみもですが やはり知りすぎた男(というか 作り上げた)の息子ですから
幕府にとって知られていてはとても困ることを 沢山知っていた が改易の真相でしょう

家康や正信存命中は(手を出せなかったが 私の感覚では 実は家康が正信に
お前の死後息子はこうするぞ と伝えていた気がするんです

例えば先の忠輝も家康死後に改易ですが これも生前決めてたと感じます

猜疑心、というかやはり後顧の憂い すこしでも不安の可能性があることは自分が生きてる間に
という

ま、正信案でしょうが そして正信自信がそのような過酷な仕打ち沢山行ってきてるから
自分の息子だけは というわけには行かなかったというか いかせないという想いがあったと思います

でですね、息子に3万石までは加増してくれるだろうが それ以上はもらっては駄目といってますが

家康と密約があったと感じます 家康としては正信の忠義に報い息子はつぶしたくない

なので正信が3万石以上もし息子が受け取ったら お取りつぶしくださいって 凄く感じます
ま、私の正信さんは 深く黒い闇といいますか そこが知れない怖さですな

あとは分からんのです

さてもう一度 大阪夏の陣が起り 幸村が家康の本陣を蹴散らしたとしても
やはり家康の首は取れなかったと感じます

なぜか?スケールの違い?もありますが 歴史の意思です 歴史はこの男に次の世を
作らせたかったからですな

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