さて今回もなぜだか現世利益 しつこいでしょ?
ですが現世利益と信仰 もしくは生きるということって切り離せないですからね
まず現世利益信仰(?) なぜ産まれたかといいますと
入り口は現世利益で その先の宗教的真理の追究 というためなのです
難しいことを言うと 密教的にはねだそうです
ま、私なんかは信仰のための方便と思ったりも
現生利益で超ラッキーではなく
そっから信仰に行けよという方便かな~ともおもいますが
ま、わからん ははは
明日の生活も
分からなかった昔の人なんかなら 末法思想とか浄土思想のように
そのあたりの阿弥陀信仰もまたそのうち~
現代の現世利益は 目の前の大変な状況お~ とか、どうしても手に入れたいもの~
じゃないですか それをばっさりNOというのも ちなみに実態経済がまわってるのも
突き詰めると現世利益だし 文明の進化もだしね
全否定すると 社会の仕組みが成り立たないよね と思うわけ 私 案外スピや宗教家ではなく
現実派ですから
ちなみに現世利益の早さでいうと マリシテン、ダキニ天、聖天の順だそうです
これは凄く実感だって
さて最近私が思う現世利益についてですが 大事なのはそれを目的ではなく ということ
その先にも大事ですし 仮定も大事だなと
ちなみに現世利益かなわない理由の大きなものですが これ、祈願する方のね
その先が明確になっていない その先のことと向き合ってない って重要だなと
もしかしてその先に向き合ってないときって
神仏にすると まだ時期じゃない、与えるべきではない と考えるんじゃないかな?
と思うわけ そこに仮定があったとしても
祈願者は 仮定とその先 これがあって初めて動く(動かないとしても届く)んじゃないかと
かんじたわけ それがないと 実は届いても無いのでは?
ま、ただ困ったから仏さんに何でもかなえてもらいます~
お願いはかなえてくれるんでしょ?
そういうのはよろしくないでしょうな~ それって道具としか思ってないじゃん
便利な打ち出の小づちのように そのうちあなたの頭をハンマーでかち割られるんでしょうな~
そういう方は