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祈願で大事なのは祈願される神様がどう思うかかも

祈願のお話 供物は取引なの?としつこく来たので 本来は喜んでいただくためとかですが

 

おもてなし~とか感謝を形にすると~なんじゃないっすかね

 

ですがね 人間ってそんな立派じゃないです 祈願って取引でしょ?
全くの取引のない祈願ってありえないじゃん

勉強がんばるから後押ししてください 正しい祈願かもですが これだって勉強がんばるから
力貸してって取引でしょ?

私実は取引一切駄目って思ってないのです

 

ま、其の取引の根本にあるお心がどういうものか

それが大事かも

 

この世とあの世はつながってって この世にあることはあの世に元からあったもので

商売って取引でしょ?それ否定したら経済が成り立たないでしょ?
それは神は望んで無いじゃん 絶対に だって人間が大変な思いしますから

でも正しい商売ってあるでしょ?適正価格だったり ばったもんじゃなかったり

偽札使わないとか お金ちゃんと払うとか 取引先だって怪しいとこと取引しないとか

そういうこと

でですね 精神世界の立派な先生が 立派なこと言ってても 結局現実世界の
そういう正業 お仕事してなければ そういう社会の 経済の仕組みやら大切さ実感できないじゃん

信者さんから簡単にお金が~みたいなの それではこの世 わかんないですよね って話なわけ
多分

ちょっと脱線ですが 今お寺大変じゃないですか 経営 結構
逆に信仰宗教 そっちのほうが勢いあるじゃないですか 色んな理由ありますが

その大きな理由の一つが 現世利益をうたってる あると思うのです
逆に言うとね 現世利益って 人間にとってメッチャ大きいもので

大抵の人にとって1番大切なものなわけ 多分新興宗教やらってそこをメインにうたってるんじゃないっすかね

 

多分

 

 

みんながみんな立派な人ではないですから

じゃあ どうすれば現世利益は手に入りますか?ここでしょ?結局は

ちなみに私現世利益が終着点とはいってません
現世利益を入り口にして と思ってます できれば人間 あんま好きな言葉ではないですが

成長したいじゃないですか 真理に向かいたいじゃないですか でですね
私の基本的な考えは 入り口を狭めちゃ駄目 限られた人しか真理にいけない
教えは好きではないのです

みんながみんないけるとは思いませんが 多くの方が目指すことが出切るシステムのほうがいいなと

 

今まで祈願する側のことばっかでしょ?大抵スピの本でも 上手に神様にお願いする方法とか
(ありそうな題名)

じゃ、お願いされるほうはどう思ってるのって あんまかかれてないでしょ 多分
お願いされるほうはどういう気持ちかって やり方よりも される側の気持ちのほうが

絶対そっちに目を向ける必要はありますよね

 

こんなお願いしたら こんな取引を持って行ったら

神様は嫌がるだろうな~

 

そういう取引というのはやっぱよろしくない気がします

祈願なんかも神様がどういう気持ちでそれを聞くか

そこが大事な感じします

 

ちなみに私仏教徒ですので 現生利益は当然信仰に向かわせる方便と思ってます

 

そこで叶ってはいお終いじゃなく はい

ま、供物で神様が大喜び~ 言い方よくないけど供物で釣りますというのはあかんじゃないかな~

 

供物はこちらの心を形にしたもの そんな感覚じゃないかな~

感謝の心を形にしましたって 逆に言うと心がないものって

動くのはよろしくないものだったりね~

 

普通に考えれば

 

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