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織田信長の先進性と三河への思い

さて何気にぼーっとしてたらばババーっとリーディングが

我らが覇王織田信長が三河をどう見てたかというね

 

尾張と三河 他県の方にしたら同じ愛知県でしかも信長と家康という

天下人を輩出した土地だから関係性深かろうと

三河には世界の豊田もあるし

 

ですが実は名古屋人にしたら三河って別に親近感ない

豊田にお勤めならまだしも そうじゃないとあんま行くこともない

 

どっちかというと岐阜や桑名のほうが親近感あるかも?

ま、三河人にしたらマジか!!ですが

 

これですネ 信長さんの感覚でもそうなんです

信長パパの信秀さんの頃から今川義元さんと三河の取り合いしてたから

さぞ重要視してたと思われがちですが

 

信長にしたら国境境だし どっちかと言えば売られた喧嘩は買わんとな~

本音はまあそろそろ無意味な争いもやめときたいわなと

 

さて歴史教科書的には信長の重要事項には長篠や姉川、そして桶狭間という戦いがありますが

信長さん的にはイベントとしては重要でしたが

 

天下をと考えると3段階あって

尾張統一と美濃を攻略、一向宗との和睦 これが最重要なことだったのです

 

さてその三河 実は信長さんってあまり語られないけど事本市場ナンバーワンと言っていいほどの経済感覚の優れたお方

その方にしてみたら三河って全くおいしくない!!

 

信長さんの経済感覚って 江戸時代なんかもそうですが農業至上主義の世の中で流通経済というものを重要視してたのです

しかも尾張を統一する前のお若い頃から

 

その感覚でいうと三河って全くおいしくない!!

大きな貿易港があるわけでもないし流通の拠点となる都市や幹線道路もない

 

仮に熱田や津島といった大きな利益を生み出す貿易港であれば

桶狭間直後に家康さんに支配させなかったと思う

 

仮に三河支配は認めても その港だけは信長の直轄地にしたと思う

後の堺や博多のように

 

でですね 信長さんが最も欲しかったとこは実は美濃

岐阜なのです

ここの攻略えらい時間かかってるじゃないですか?

 

ここを攻略して本拠を尾張から岐阜に移した時に初めてリアルに天下というものが視えてきたと感じます

 

その証拠に岐阜に来てから天下布武という刻印を作ってますから

さて岐阜に来てなにしたかというと 後の安土のプロトタイプといいますか

 

都市設計して一大流通都市にしたのです

 

さてさて 天才って何が凄いといいますと のちの世では当たり前になったことを始めるということなのです

 

信長さん本拠地を尾張から岐阜に引っ越したでしょ?

これって凄いこと

 

信玄にしても謙信にしても北条さんにしても甲斐や越後、小田原から本拠地移さなかったじゃん

その発想がなかったというのと移したくても移せなかったという側面も

 

家臣や国人たちが大反対するじゃん

なぜに慣れ親しんだ越後から引っ越さにゃならんのって?

当時って今よりも父祖伝来の土地にこだわり強かったしね

 

ちなみになぜに頼朝さんが武士階級から支持を得れたかといいますと

父祖伝来の土地の所有権というのを認めたからなのです はい

実はそれってめっちゃ重要

 

それくらいその土地ってだいじだったといいますか

 

続く

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