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太宰治は苦しみの中になにを見出してたか

唐突ですが 太宰治さんです

実はよく知らんのですが

なぜって著書とかあんま読んだことないしこの方についてよくしらんから ははは

実はますます最近悩んだ先の喜びをという人物や考えに興味を失っていて。

そういう生き方されるかたはそれはそれでよいと思いますし。

素晴らしい作品をというのも素晴らしいと思います。
でもね、みんながみんな悩んで太宰になる必要はないなって。

そういう方って多分最初からそういう役割があって役割のある方はそういう生き方をするもの、なんじゃないかなって。

そういう役割がない大多数の人はあえてそういう生き方をする必要はないんじゃないかなって。

だって国民の大多数が太宰だったら相当嫌な世の中じゃん。選ばれた太宰は少数でそういう生き方をして、

その他はよりよい社会を作りましょうってのが健全じゃないかなあって。

たとえば人類の進歩や芸術なんかの分野で悩んで悩んで花開くという方もね。
最初は自分のためでいいと思うんですが深まれば深まるうちに人類のためって意識、
みんなのためにこの苦しみをってなってくのが精神の成長じゃないかとね。

太宰は太宰の生き方でいいと思うんです。

ただね、本当は太宰じゃないけど太宰と思い込んで
そう生きちゃうのって、本人も周りも不幸だなあって。

と思うのです。

苦しみの先に喜びがあるって嘘だと思うんです。

苦しみの先はもっと苦しみと性格がゆがむというのが持論で。(いじめとかそういう苦しみでなく創作というものね)

 

本当のその先に喜びをつかめる人って苦しくても実はその苦しみの奥底には喜びがあるんだと思うんです。

もしくは小さな喜びを見つけてるんだと思うんです。

なぜならその創作してるもの(文学やら音楽)というものが本当に好きで苦しみながら生み出す快感がどこかにあるんだと。

 

潜在意識の中に。

もしね、なかったとしたら向いてないのだと思うんです。

苦しんで苦しんで求道してるとするでしょ?でもね、その道が根本はすきなんじゃないかなあって。という感じで。

ま、私は悩みはないのがいい派なのです。毎日楽しく暮らしたいんです。
普通に暮らしてたら人間嫌なことの一つや二つはあるもんジャン。

でそれをくよくよ悩むよりもどうって事ないっすよ、あははって生きる方がなんぼかカッコいいじゃんね。
みんなが悩んじゃうことこそ笑って通り抜けちゃうんです。
にんげんって生きてりゃいろんな方きづつけたり犠牲にしたり迷惑かけちゃうじゃん。

それなのにいちいち悩んで周りをくらくしちゃってたらそりゃ罰が当たるって。
天真爛漫に生きた方がいいですよ。そっちの方が背後に守られるし楽に生きられます。

わざわざ自分から悩み背負う必要ないです。

ま、役割持った人は別ですが、そういう方でもその苦しみの中から喜びを見つけるべき。
光を見つけないとしんどいし倒れます。

れきしじょう最も役割があってしんどかったのって誰?と聞かれたら織田信長って答えちゃうけど。
でもね、どうリーディングしてもこの方、凄い喜びを感じちゃうの。

楽市楽座やら安土なんかの新しい城下町つくりなんかこの方至上の喜びだったと思います。

 
戦に勝って領土拡げるより。全く新しい都市デザインで民衆のより住みやすい街作りなんか
イメージするだけでたまらんって感じで。

 

今日は鬼神の話にしようと思ってたら。。久々書きながらバンバン降りてきて目の前にバンバン浮かぶはぐわーっと情報が降りてきて。

書きながら血滾ります。なんですかね、この血のざわめきはってくらい。

 

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