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朝廷が陰陽道から密教に鞍替えした本当の理由

平安のある時期までは陰陽道が政府の霊的なものをになってたんです。多分

 

色々お話伺うと密教僧と陰陽師がセットでいろいろしてたりしてたそうですが

 

メインとしてはイメージとして
が、密教に取って代わったでしょ?その辺りをリーディング&実は前世でみてたりを
織り交ぜながら。妄想8割適当2割で

 

まずね、大仏って実は長屋王の怨霊を鎮めようとじゃないかって。
でそれでも鎮まらないから大仏も捨てて平安京へ。ほら、あの国家事業なのに
遷都後は実は大仏を手厚く保護したりしてないのが証拠ね。

ま、その時点で奈良仏教は脱落なの。
で密教が国家鎮護までになった理由って大まかに3つあるとにらんでます。
毒と鎮魂と世界観。

逆に言うとこれらが陰陽にはなかったってわけ。
空海やらを唐に留学って表向きは最先端の科学を(NASA留学みたいなものでしょ?)
ですが。

実は怨霊に対する新たな対応方法を見つけろの側面が大じゃないかって。
当時の権力者って結局ライバルを汚く追い落とし権力を手中にでしょ?

で1番恐れたのがその仕返しの怨霊。結局そこなの。
はじめは神仏の力で鎮めようとしたわけ。それこそ大仏だったり。

それがこうかないから最終的に御霊信仰って神に祀り上げる手法になったわけ。
なぜ最初からやんないかというとそれやると自分の非を認めるわけじゃん。

すいません、こんな汚い手であなたを追い落としてしまいましてって。

で日本史でも語られないけど鎮魂って凄いポイント。

 
結局陰陽には鎮魂って思想がないの。ま、あるんだけど仏教的な宗教観がないわけ。

やっつける、踏み固めるってしそうなの。お供えして鎮める、上がってもらうって思想は皆無。
だと怨霊は鎮めれないわけ。

分かりやすく言うと陰陽って街の喧嘩レベルは凄く強いがもっと大きなもの、

 

たとえば国家レベルの侵略には全く手がないの(ようは強大な怨霊やら)。

 

そこには戦術と戦略の差で。

戦術は局地戦でってはなしね。
ちいさな街レベルではつよくても戦術レベルの鎮魂って発想自体ないからというのが
第一のお話。

第二の毒は長くなるから次回。
世界観ね。密教の世界観って体系だって現在でも凄い!

なるほどと思うほどじゃん。
そこなの。差は。結局権力者ってそんな霊能は強くないと思うわけ。

そしたらどんな人が登用されるかってその物事に対して筋道がしっかり立って説明できる人物。
分からん人を納得させれる人物なの。密教はそこの部分が凄くスケールも大きく体系だったものがあったのでしょう。

私の感じる安倍晴明さんもそこのとこが得意(弁が非常にたったのでしょう)。
ほら、読者さんだって多分大多数は霊能はないと思うわけ。
でもブログがなんとなくもっともらしいことをかいてるからこの人凄いかも?
ブレス組んで欲しいなってなってると思うんです。

以前書いたすごそうってやつね。そんなかんじ

ということで読者さんたちも私にだまされてますよ

 

気を付けまっしょ ははは

なんてね

ちなみに妄想物語なので信憑性はないです!!

がちょっとありえるかも

 

 

 

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-呪術、密教、陰陽道