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式年遷宮と陰陽道の深くて浅い関係

され今更ながらの式年遷宮ネタです

式年遷宮ね、読者さんから凄く興味ある内容頂いたのでご紹介

伊勢と出雲の遷宮ですが、星の周期なんじゃないかなと思い調べてみました。

そしたら、出雲はまさにこれなんじゃないかなーと。

古代中国では、肉眼で観察できる惑星である木星、火星、土星、金星、水星の観察により、 五行説や、 九星 が生まれました。

 

そして、これらの5つの惑星に太陽、月を加えた7つの天体観察から、これらが60年周期で直線状に並ぶことを発見しました。

(http://astrology.neoluxuk.com/hisei/index.php/Cat1No/A200/ より抜粋)

けど、出雲って必ずしも60年で遷宮しているわけではないのですね。

伊勢は北斗七星だから、まさにこれなんじゃないかなと。というか、これです!!!

古代中国では、北斗七星の指し示す方向が20年周期で変化することを発見し、この方向の変化で『地運』が変化すると考えました。

ちゃんと調べてはいませんが、遷宮を制度化したのは、そう古い話ではないはず。
伊勢は平安時代だったかと。
なので、大和を平定した後かなりたってからのことであって、
私は「あらぶる神」うんぬんと遷宮は関係が無いだろう思っています。
そんなことより、星の運行だと思います。

出雲の式年遷宮って、やっぱりとても後付けな気がします。
そもそも、出雲大社と伊勢とは、存在している理由がまるで違いますものね。

 
だから、そもそも星を祀っていない出雲は、星が並ぶからそうするか、みたいな
60年という数字はそんな後付け感を感じます。
怨霊化しない装置、私もそう思います。
それと、やはりあそこは人柱の歴史が濃くて。
その祀り方の転換があったわけですよね、飛鳥時代頃までには。
転換を促していったのは秦氏だったと私は思います。
今では、国をあげ手厚く祀られ、とても静かな力強いものを感じます。

ほほー、凄く興味深いですね。この説凄く惹かれます。
で平安時代だったのねと。

そこで浮かんだことが。

平安期ならどの職業が政治に影響あったかというと、密教と陰陽ですね。

どっちも星のめぐり(特に北斗七星)凄く重要視ですよね。

この説ますます興味深し。

で私が思い浮かんだことは金神ね。うしおの金神の金神様。

実は陰陽でも結構ね。重要というかひろまった要素の一つじゃん。

 
でこのメールで金神凄く興味が。

私の遠い記憶をたどるはてのなんとなく金神ね。全く違うかもですが。

たしか金神って何年か周期で場所を移動してその場所を探り当てる技術というのがありまして。

ま、金神の障りを防ぐってやつね。それが陰陽だったか古神道だったか密教だったかにあって。
20年だっけ?その周期が。北斗七星のめぐりだっけ?

怪しい記憶。笑 でその時期に(金神のさわりの方角)を荒らす(家改修したりのたしか土地を
荒らす的な)ことすると災いがって内容じゃなかったっけ?

でその金神を凄く表に出してひろまったのが天理教?だっけ?あとは金光教とか。

うーん、記憶があいまい。

たしか金神の運行なんかも周期やらなにやらも教えてもらったが思い出せん。

 

話変わるがまたまた陰陽の内緒話ね。

なんで式占やら発達したかね。大きな理由の一つがね。
鬼を探すための技術なわけ。

興味持つでしょ?気になるでしょ?

また書くけど。

何かピンと来ない?ヒントはね。安倍晴明がちびっ子の頃百鬼夜行を見つけたことが
伝説になってるでしょ?

何で?ってことね。

ああ、我ながら凄いヒント。実はそれ私は凄くピンと来たんです。
そういうことだったのねって。

皆さん、陰陽道のセンスあるかしらん。

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