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陰陽師の実際

子供の頃祖母から聞いた昔話をね。
祖母も小さい頃に聞いた話で。

ま、うちの陰陽のお話なんだけど。
今思うと多分江戸の終わりとか明治の初めの話と思います。

 

うちは元々滋賀の山奥なんです。ま、凄い山奥。当時だったら。
そこに基本はお客さんが来る形式だったそうです。

 

病気もあるが基本はつき物落としといった精神に異常をきたした方が多いらしくて。
でですね、実は今思うとマッチポンプというか、誘導尋問的な感じなの。

ま、ある意味今のカウンセリングにも通じてて。信用させて相手から話させて原因を探っていく。

 

でその原因を霊的なものとしてそれを大げさなパフォーマンスで落とす。
ことによって相手も信用して治るという感じの。

ある種のプラセボです。

でそこらへんを。

 

凄く山の中なのである程度の場所まで迎えに行くんです。
そこは一本杉の前だったと。
で行くのは近親者で。

 

陰陽する人は家の祭壇の前でクライアントを待っているんです。
で迎えのものがクライアントを家まで連れてくる間に色々聞きだすわけ。

 

 

それこそ家族や家の周囲の景色、その人のことやお金を持ってるかどうかまで。
その聞き方も親身に悩みを聞く感じで、そこで信頼関係を。

で家につくとその迎えのものと陰陽師が暗号のような言葉でやり取りするんです。

たとえばお金はおコメと言い換えるみたいに。
もうその時点である程度クライアントは丸裸じゃん。

情報が。それを言い当てるわけ。

 

そうすると何で分かったの?
と信用してその後は勝手に話すし術やらも信用するでしょ?

って感じなわけ。ある意味そのやり方を昭和の力がある占い師や霊能者って踏襲してたりもね。(今でもかも 笑)

とかね、民間の陰陽でも実はあれ使っちゃいけないとかあるわけ。
弓をはじいちゃ駄目とか。

 

その辺りをね。江戸の中頃からは賀茂家よりも土御門(安倍けね)が陰陽独占したわけ。
で土御門は全国の陰陽師(民間も)を統制しようとしたわけ。

免状だして。あんたは土御門公認だよって。

 
でそのときに色々制約をつけたわけ。お前のとこは鐘を叩いちゃ駄目とか弓を鳴らしちゃ駄目とか。

土御門との差別化ね。
でうちなんかも弓は駄目だっていわれたみたいで。

 

でも祖母の実家は神社なわけ。そうすると当たり前だが弓はつかってたわけ。

父方の陰陽師って結構女性も多くて。でその女性は実は代々祖母の実家から近親結婚が
多いわけ。前書いたけど。

血を薄めちゃいかんって。
ので父のほうに弓はだめっていってもその方達は幼い頃から使ってるじゃん。
なので結局はならそんな認可はいらんよってなって完全に民間陰陽してたわけ。

ちなみに陰陽はなのってないんです。確か太夫とか名乗ってたのかなあ。違ったかもですが
そんな気が。

 

山椒太夫の太夫も陰陽師説あったりなのです

確か

 

 
で昔はね、案外陰陽師って身分高かったそうで。

ほら、家って庄屋なんだけど昔から苗字、帯刀OKで、当時としては立派な石のお墓だったりで。

 

前は参勤交代の時のやどに使ってた関係と思ってたけどどうやら陰陽師だったからと
聞いたことも。で大名行列がきても正座でひれ伏さなくても方膝立ちでよかったとも。

(これは親戚の爺さんがいってたことだからあてにはなりません)。

あとは、昔はうちの当主が神隠しにあうって言われてたそうで。何ヶ月も姿消しちゃうんだって。
それも祖母の話を今思い出すと京都に行って多分土御門に献金か何かしてたんだろうね。
で京都から珍しいものとかかってきて村人にあげたりみせたりしておお、〇〇さんはやっぱ凄いわ!!と思わせてたみたいです。

一応大庄屋だったからお金はあったそうですので。

そうそう、小学校の学芸会で三河万歳が来たんです。たしか太鼓やら鳴らしてばんざーい
とかおどってたっけ?

うちの祖母も見に来てて。昔の陰陽の祭りってあんなだったよと言ってました。
色んなもの打ち鳴らして踊るみたいなさ。

で家のものは色んな面をかぶって。

土御門の正当な陰陽道とはイメージ全然違うでしょ?
ま、これも陰陽ってやつでね。

官の陰陽じゃない陰陽ってね、実は案外地域に土着してたんだなあって改めて。
そういえば父の生家も玄関に蘇民招来のふだとか張ってたし。

家と思えば庭の大きな岩には注連縄張ってあったり部屋の扉の上には形代が何体も
張ってあったりと今思えば相当マジカルな家だったなあ。

今では誰もついでないからマジカルじゃないけど。

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