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慈の上には太陽を 忍の上には月を

さて尾張藩主徳川宗春さんの続き

 

吉宗さんにすれば自分の政策に真っ向から反抗じゃん。

しかも尾張って吉宗の最大の政敵なわけ。

で詰問上を出すがこのかたは、吉宗に

あんたの地元の紀州は経済がひへいして民が
ドンだけ苦労してるの?

尾張は民がうるおってるよ。これこそ善政じゃんっていうわけ。

自分のとこの民衆を苦しめる政治家が日本の政治をやるなよくらいなね
吉宗にとっては1番痛いよね。ま、

結局はいくら御三家筆頭でも将軍と喧嘩したら負けちゃって
幽閉されちゃうんだけど。
昔はなんで負けるの分かってってそんな自殺的なことするんだ

ろって思ってたら最近発見が。

 
ほら、吉宗将軍就任時に尾張と紀州がどっちが将軍となるかで争ったじゃん。
結局紀州が買って吉宗がなるが。最大の政敵なわけ。
で宗春はどうやら圧倒的な経済政策を武器に吉宗を追い落とそうとしてたかんがあるのです。

ほら、日本全国が未曾有の大不況のなか尾張だけが超バブルだったじゃん。
それと民意を背景にね。(民意は絶対この方大事にしてたはず。当時としては考えられんが)。
姫路の水野家と安芸の浅野家(忠臣蔵の本家と)と密接に手を結んでたかもなのです。
ので吉宗びいきの小説やドラマだとこの3人が3ばかトリオとなっちゃうわけ。
でさっき民意と書いたじゃん。あれの裏づけで。

吉宗は上から下まで質素倹約なわけ。
でこの人は上は倹約で下(民衆)まで倹約させると国は疲弊し民は精神的にもきつくなる。
逆にしたの質素や規制をなくせば経済は活性化し民も生き生きするって方針なわけ。
規制や法律が増えれば精神的に追い詰められだめっていってるのです。
凄く民意を大事にしてね。
最初お国入りのとき恩知政要って基本方針をかいた本を全ての藩士に配ったわけ。
それもありえないことで。

印刷技術が発達してない当時にいくらかかるんだって。
それだけ自分の基本方針を周知徹底させたかったんだと。
其処の第一条(ま、一番の基本理念)が凄く好きで。
規制やらがふえると駄目じゃん。

そのかわりこの二つは掛け物に書いて守れよって。

慈という字の上には太陽をかいて忍という字の上には月を書けよって。

慈(慈愛)は心のうちにあっては駄目で常に心の外において社会の隅々まで太陽のように
慈愛で照らしなさい、

逆に忍は外に出してはだめで自分の心のうちがわで忍びなさいって。
衣服には仁という字をかいて外にでたときはこの言葉をかみしめろよって。
凄くない?

 

すごくよくない?実は大好きなのです。

この恩知政要って。
当時の藩主がこんな慈愛にみちたこというのってありえないでしょ?
いまでもこんな人が上司だったらいいじゃん。
実は名古屋って私はこの人の愛情を凄く感じるのです。
で霊的な感覚でいうとね。

なんだかんだいっても名古屋経済強いじゃん。
しかも独特じゃん。
この方がいまだ一生懸命守ってるって凄く思うのです
ほら、信長、秀吉は最終的には本拠は変えたじゃん。

このかた死ぬまでこの地と民を
愛してたんじゃないかなあ

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