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徳川家康の真の恐ろしさはその危機管理にあり

外国行くとあんたの宗教は?みたいなこと聞かれて結構日本人困るじゃん。
正月神社で葬式お寺で。

 

かといって普段信心深くないし。

でね、天皇家なんです。いきなりですが

 

ほら、宗教って原理主義になると他の宗教殺すじゃん。
面倒なんで詳しくは調べてね。

で日本も昔はそういうのあったわけ。天文法華の乱とかね。
でも外国ほどじゃないじゃん。

 

これって天皇なんです。

絶対的存在の元にしか秩序も平等も自由もないわけ。
それが宗教なんかの神だと信者同士が殺しあうわけ。

神の意思を勝手に解釈して。

でも神様って絶対喜ばんじゃん。
でもそうなるって神って人間に話さないじゃん。

だと勝手に意向を推測するしかないじゃんねと

 

異教徒は殺してしまえじゃないけど

 

人間が絶対的存在ならいいじゃんね。

意向もきけるし。
でも王やら皇帝って力で絶対的存在になってるわけ。
それって砂上の城みたいなもんで永久じゃないじゃん。

より力のある物が現れると取って代わるし

 

そこで日本の天皇なわけ。

天皇に取って代わろうってないじゃん。
(正確にはあったがみんな非業の死ね

信長や義満等、天皇家を取って代わろうとすると
何かの力が働く国のわけ)。

どれだけ武家が力をもってもその上に天皇という絶対的な存在がいらして

その存在は歴史的には色々な立場になったりもしたが。

でも意向は伝えられるわけ。

意向を伝えれるがためにややこしくなったりすることも多々あったが

 

お世継ぎであったり陰謀であったり ははは
その存在がある意味最も重要となったのが幕末ね。
尊皇思想ってあったでしょ?

あれなの。

江戸時代とかって幕府に逆らうのって儒教的にだめって思想を叩き込んだわけ。
誰がって家康が。それは反逆だって。

家康って日本史上最高の危機管理能力なわけ。
完璧なまでの幕府を維持する仕組み作ったけど

それでも倒幕があるとしたら天皇を
担いだ時だって。

そうなったときの保険で水戸藩(御三家ね、肛門様の、と違った

黄門様です)には実は尊王思想をさせたわけ。
幕府が倒れても徳川の血は残るように

で核心の続きはあすね

 

ちなみに家康は倒幕するときは島津か毛利と想定してまして

なので攻めあがるルートに居城を作ってそこに親藩や御三家といった信頼できる家を入れたのです

 

何度も書いてますが でですね

加藤清正死後加藤家ってお取り潰しで熊本城取り上げられてるでしょ?

 

そこに細川さん入城で これも当初から決めてたと思うのです

なぜかというと

島津が江戸に攻めるルートって まず熊本城、次に小倉城なわけで

小倉城って熊本来る前に信頼する細川さんに居城を作らせ

熊本に栄転後は小笠原さん(NOT満男)が入城で

ちなみに家康さんの親戚さんで

 

しかも九州全土を監視しろよという重要な任務でして

ま、清正にめっちゃ立派で難攻不落なお城を自費で作らせて

死後はそれをいただいてしまおうという腹積もりだったのでしょうね

 

そう考えると家康さん恐ろしいです

ま、普通に考えて西南戦争とい近代戦でも落とせなかった

日本屈指の名城を外様でしかも親豊臣の筆頭格の加藤家なんかに

 

ずっと持たせるわけないですよね 清正が目の黒いうちならまだしも

 

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