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靖国参拝の是非について 隣国は黙っとれ

これは数年前に靖国参拝を

テレビで見ていたときのことです。

 


靖国って戦争でなくなった方を祭ってある神社、

の認識しかなかったのですが。

首相やら大臣やらお偉い方達のずっと後方で

背広姿のなくなった霊の集団がいたのです。


姿は背広で結構年配の方達の霊。

 


とても気になったのでテレビ越しに

ちょっとリーディングをしたんです。

まあ出来ないだろう、と思っていたら

ある感度の良い霊とちょっと繋がったのです。

色々話を聞いてみたのです。以下その話です。


と言うか今その霊ではないと思うのですが

話したがってる霊がいるので同時通訳で


書きます。

 

自分達がここに参拝しているのは

自分達が生き残ってしまったことに対する

死んだ仲間への申し訳ない、という意味と、

 

自分の命令で殺してしまった部下への後悔と自責の念。
また今だ骨さえ日本に帰れない多くの戦友たち、

浄化出来ない戦友たちが少しでも
楽になればと言う想いです。

 

自分が戦った地には何度も行ったが

そこでなくなった霊はその地に

留まっているものもいるが多くは

 

日本に戻ってきたが行き場のない霊の多くは

この地(靖国)に集まってきている。

それらの集まってきている戦友たちを

少しでも我々生き残ったものたちが導ければ、

と想い毎年来ている。

 
しかし私達だけの力では中々導けないので

毎年この日に来て、今生きている多くの日本人
の祈りとともに働こうと思っている。
なくなった方を成仏させるには

生きている人間の祈りの力が一番必要であり

 

より多くの方がこの日だけでもいいから

あの戦争でなくなった方達を思い出して欲しい。

それは我々軍人だけでなく市街戦や

空襲でなくなった方達のこともだ。
そして今、あの戦争を語れる人たちも

少なくなっており、戦争の記憶もなくなっている。

 
正直このまま戦争の記憶が薄れていけば

今、成仏できていない人が

成仏出来なく成ってしまうのかと思う

ととても焦ってしまいます。

 

戦争を体験した人たちが

なくなってしまってからのことがとても心配です。

もう残された時間は少ないのです。

この戦争の記憶をなくさないためにも

靖国参拝と言うことがあればニュースにもなり
国民も思い出すのでなくさないで欲しい、

 

といった感じです。

 

スイマセン、後半は感度が悪くなってしまって。

靖国は直接なくなった方のみでなく、

生き残って自責の念で生きてこられた方など
あの戦争に関わった方すべてに

もしかして必要なモニュメント、

と言うか
聖域なのかも知れないです。

ちなみに先ほどの霊は戦争で生き残ってしまい、

その後成功をおさめなくなった感じの
方です。ただ自分が成功すればするほど

 

戦争で生き残ってしまったこと、

 
部下を殺してしまったことへの

呵責が強くなりとても苦労されてなくなっています。

多分このような方は多くいらっしゃったのだと。
これは書くべきかとても迷ったのですが

晩年は痴呆症というかアルツハイマーと

なってる感じです。

 

ご家族の方には

とても失礼な言い方になってしまうかも知れないのですが
この方が晩年余計に苦しむのを見かねた

守護霊か縁ある神と呼ばれる存在の慈悲の
思いで苦しまなくてもいいように

なっている感じがします。

軽々しくいえないのですが認知症って

霊的に見ると何かとてもつらい思いがあった方が

 
晩年苦しまないようにという配慮の元に

発症する場合を感じることがあるのです。

ご家族様のご苦労は充分分かっていますが、

そんな感じするんです。

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